01マンハッタンの夜


 ――満点の星空は見えない。
 明るく輝く街のネオンと、霞のように淀んだ空気で視界は屈折して、判然に輝いているはずの星々も滲んで見える。自然という言葉からはあまりにもかけ離れた景色。
 眠らない街、ニューヨーク。私は、この景色が嫌いじゃなかった。

(今日もうるさいなぁ)

 ビルの屋上にいると、喧騒も街の明かりも少しだけ遠くてどこか違う世界のことのようにも思える。

 車のクラクションと、喧嘩の怒声。楽しげな人の声という喧騒が足元から聞こえてきて、私はそちらを覗き込んだ。
 
(でも、平和でなにより)

 喉を鳴らして、誰に聞かせるでもなく上機嫌に歌う。
 今日は一日、美味しいご飯を食べて、天気がいいから日向ぼっこをして、いい風を感じていた。そして今は、誰もいない屋上で歌うことができる。言うまでもなく、私の機嫌は上々だ。下で苛立ってる人々にこの気持ちを分けられたら、喧嘩しなくて済むんじゃないだろうか。

(さーて、そろそろ帰ろうか)

 歌い終えて満足した私は、屋上の縁からくるりと踵を返した。
 喧騒を背に、暗闇の中を小さな歩幅でのんびり歩いていると……

 突然、尋常じゃない速度の物体が私の目の前に――いや、私の元に――飛び込んできた。

(!!!)

 どこから現れたのか全くわからなかったそれは、飛び込んできた勢いのままに私を跳ね飛ばして、何事もなかったかのように着地した。
 跳ね飛ばされた瞬間、喉から変な声がでて、体はコンクリート壁に叩きつけられる。ぺきりと骨の折れる嫌な音が骨を通じて頭に響いて一瞬意識が飛び、次に気がついた時には私は地面に倒れ伏していた。その全身を駆け抜ける痛みたるや、動くどころか息をすることすら億劫になるほどだった。

「あー!ラファ、轢いた!」
「……あ?」

 間髪入れずに聞こえてきたのは、非難する甲高い声と、不機嫌そうな低音。
 バタバタと地面が激しく揺れて、誰かが私に駆け寄った。私はその人に抱き起こされ……いや、両手ですくい上げられる。綺麗なアンバーの瞳がこちらをのぞきこんでいた。

「……轢いた? 何を」
「鳥だよ! 小鳥ちゃん! 今ラファにぶつかられてベチャってなった!」
「はぁ!?」
「マイキー、その鳥見せて」

 私は別の人の手のひらに移動され、今度はレンズでじっと覗き込まれる。私は全身の痛みにピクリとも動けない。……生きてはいるけれど。

「あー……これは骨が折れてるね。翼も負傷してるから当分飛べないと思う」
「つーか!なんでこんなとこに鳥なんているんだよ!」
「鳥くらい何処にだっているだろう」
「動物のくせに鈍すぎんだよ!」
「えー!じゃあラファ、この鳥どうするつもりなの?」

 暗闇で細かくは見えないけど、三人が一人を非難するようにじっと見つめていた。非難されたその人は視線に耐えきれなかったのか、小さくうぐっと呻いた。

「……なんで、俺様が」
「……ラファ」
「…………」

 冷静な声が、たしなめるように名前を呼ぶ。
 ラファと呼ばれた人は、戸惑っているのか言葉を飲み込んで黙ってしまった。それでも、三人の視線は一向にその人から離れる気配を見せなかった。

「……わーったよ!仕方ねぇな。飛べるまで面倒みりゃいいんだろ!」
「やったー!ペットだペット!!」
「いいの?レオ」
「それこそ仕方ないだろう。ラファのせいで飛べなくて死んだら、この子が可哀想だ」

 私はほっと安堵した。どうやら、瀕死で放り出される自体だけは避けられたらしい。
 レンズでこちらを覗き込んでいた人は、手のひらにある小鳥――つまりは私を、ラファという人に差し出した。

(顔、怖い)

 街のネオンで照らし出された、大きいからだと鋭い目。あまりの恐ろしい人相に、私は体を動かすことはできないが、その代わりとばかりに、胸ががぎくりと変な音を立てていた。

「あ?……なんだよ、ドナ」
「ラファのせいだから、ラファが世話するんだよ」
「……面倒くせえ……」
「面倒じゃないだろ。ラファの責任だ」
「……ちっ」

 青いハチマキの人物に釘を刺されてまた声を詰まらせた彼は、どこから出したのか真っ赤な布を私にかぶせる。
 そして、思ってたより硬い手が、思った以上に優しい手つきで、私を布ごとすいあげた。

(あ、この人。悪い人じゃないのかも……)

 うとうとと眠くなるような、優しい手のゆりかごの中で――
 私はゆっくりと眠りについた。