15 隣にいるだけの絆


「おーい、なにいじけてんの?」
「いじけてねえ。つーかついてくんなよ」

 家から少しだけ離れた下水道の道で、私は不機嫌そうなラファの後を追っていた。ラファのペタペタとした足音と、私の尖った足爪が床に当たるカチカチとした足音が、ずれて反響している。
 それ以外の音と言えば、下水管の中を流れる水音だけだ。中を流れているのは食用油や生ゴミにまみれた汚水だというのに、管一つ隔てて視認できないその水は清らかな音をしている。そこが下水道だというのに、森の中にいるような妙な気分になりながら、私はラファの後を追い続けた。

 ――彼らが家に帰宅してきたのは、今から1時間ほど前のこと。


   *  *  *


「ただいまー!小鳥ちゃん」
「お帰りマイキーッ!!」
「おぶふッ!」

 両手を広げたマイキーの腹のど真ん中に向けて、私は両手をクロスさせて全力のバードタックルをかました。受け止めてくれるというのだから、甘んじるのは家族の特権だ。
 しかしながら、腹甲があっても殺しきれなかった衝撃に、マイキーは口をすぼめて息を空気砲のように吹き出す。

「汚っ!マイキーこっち向いて噴くなよ!」
「い、いや小鳥ちゃんに唾かけるわけにはいかないじゃん!」
「僕ならいいって!?」
「……あれ?ラファは?」

 マイキーの腹甲を抱きしめながらレオを見ると、彼は困ったように笑ってから、握りしめた拳に親指だけ立て、それで家の入り口を示した。

「どうしたの?」
「ちょっと失敗をな」
「失敗したのはそれぞれのせいだし、ラファは僕たちのことフォローしてくれたんだけど……」
「ラファはああいう見た目で繊細だからさぁ。気にし過ぎなんだよ」
「おまえはもうちょっと気にして反省しろ!」
「あだっ!」

 レオに続いて、ドナとマイキーも、半開きになった扉を見ながら口々にそう言った。つられるように私も半開きのドアに目をやる。

(一人反省会中ってとこか……)

 不意に、肩にぽんと大きな手が乗った。

「……ちょっと見に行ってやってくれないか」
「レオ。でも、私が行ってもだめなんじゃない?」
「いや、たぶん大丈夫だ。俺の見立てならな」


   *  *  *


(全然だめじゃないか。レオのうそつき)

 下水道を適当に散歩してラファの背中を見つけ、私が声をかけると……ラファはおもむろに立ち上がって私から逃げるように歩きだした。そして、とどめの言葉は「ついてくんな」である。正直お手上げだ。

「ねぇ、逃げることじゃない」
「逃げてねえよ」
「私、ラファのもっと恥ずかしいところとっくに見てるよ?今更隠すことも恥じらうこともなんにもないよ!」
「……ハァ!?」

 そこで初めて、ラファがこちらを向いた。不機嫌そうに顔をゆがめ、瞳は恥ずかしさと疑いのまなざしが混ざった複雑な色になっている。

「リビングのテーブルにつっぷして泣いてたこともあるでしょ?ほら、シュレッダーの事件が起こる前とか」
「てめっ、なんでそのこと……!!」
「だってその場にいたし」
「……っ!くそっ……」

 小鳥だったときのことを思い出したのか、ラファは悔しそうにそう吐き捨てた。そして心底不服そうな声音でつぶやいた。

「なんでてめぇは、小鳥だったときの記憶があんだよ」
「なんででしょうねぇ?」
「俺らが小亀だった時の記憶なんてほとんどないっつーのに」
「そうなんだ。でも、私はあってよかったなって思うよ」

 ラファは私がおちょくってくるとでも思ったのだろうか、威圧するように「ああ?」とこちらを睨みつけてくる。

「私だけがラファのこと慰めてあげられるでしょ?」

 そう、いじける姿が見られるのは私だけ。ちょっとした特別だという優越感に浸った自己満足だ。
 目を細めて広角をあげた私に、ラファは面食らったのか、細められていた目が丸さを取り戻す。亀肌のちょっと固そうなまぶたがぱちりぱちりと音を立てた。
 私は唖然とする彼に近づいて、めいっぱい背伸びをして赤い布に覆われていた頭をなでた。ちょっと羽っぽいだろうがそれは許してもらおう。

「よーしよし。いじけなくていいんだよ」
「……おちょくるの間違いだろうが」
「ええー!そんなことしないよ!失敬な!」

 ぱんっと軽い調子で手を払いのけられる。私の手を払いのけたラファの瞳には、もう戸惑いも恥じらいもない。いつもの不敵で勝ち気な強い光が爛々と輝いていた。
 安心しきった私は、彼の膝に足をかけて、ひょいと肩に飛び乗る。いつもの場所。前よりだいぶ視界は高くなってしまったが、慣れた居場所だ。

「やめろ、重い。てめぇ、どんだけでかくなったと思ってんだ」
「重くないよ。ラファなら余裕だって。筋肉の塊じゃん」
「ひねりつぶすぞ」
「やめて!帰るまでにミンチになっちゃう!」

 わざとらしい私の嘆きを聞きながら、ラファは小さく笑っていた。私は、はちまきに包まれた彼の頭を抱えながら、おでこをぺちぺちとたたく。声高らかに、帰路を指さした。

「よーし、ラファ号。帰ろう!いじける暗いならピザ食べよう!」
「ったく、あんま調子乗んなよ!……だが、まあ」

 彼はちらりとこちら一瞥する。
 おかしそうに、あきれたように浮かんでいた笑みが、こちらをみた途端にさらに深まった。この優しい瞳に宿る感情をなんと呼ぶか、私はこのときまだ知らなかった。

「……仕方ねえ。がうるせえし、帰ってやるか」