16 文句ばかりの子守唄


 地下の私たちの家、その扉の向こうからざわついた声が聞こえてくる。
 私は二階の手すりから飛び降りて、慣れない翼をどうにか広げて滑空し、ゆっくりと一階の地面に降り立った。ミュータントになったばかりの時と比べると、ある程度飛んでいられるようになった。(とはいえ、長時間の飛行は無理だ)私は一階の床を蹴り、玄関の扉をゆっくり開く。

「今日は最高だったな!」
「ああ、まさかああも作戦がうまくいくとは思わなかった」
「まぁ想定外の要素もあったけど……」
「でもでも、結果オーライじゃん?ねぇ?」

 彼らは曲がり角の向こう側なのか、姿こそ見えないが、声はしっかりとコンクリートの壁に反響していた。今日叩きのめしたのであろう相手のことを語る声は珍しく楽しげで、兄弟喧嘩するような要素は何一つ感じられない。あのラファですら上機嫌に彼らと語り明かしているのだ、よほどいいことがあったのだろう。

(なんだかんだ言って兄弟だもんね。いつもの言い合いも、喧嘩するほど……ってやつだろうし)

 一瞬だけずきりと胸が痛んだ気がした。
 しかし次の瞬間には角から彼らの姿が現れて、扉の前にいる私の姿を見るなり、マイキーが軽快に飛び跳ねた。

「あ、小鳥ちゃん!」
「もう"小"鳥じゃねえだろ」
「まぁまぁ」
「ただいま、
「……うん。おかえり」

 あっという間に、自分より二周り以上大きな彼らに囲まれる。さっき感じた小さな痛みが、彼らの笑顔で上書きされていくのを感じて、私は気づかれないようにゆっくりと息を吐き出した。

「もしかして、今日絶好調だった?」
「ああ。この間考えた作戦が思いの外上手くいってな」
にも、僕の最高の武勇伝聴かせてあげるよ!!」
「マイキーの自称武勇伝は98%の確率で誇張されるから信用ならないよ」
「でも今日はホントだから!!このぬんちゃくで敵をバッタバッタなぎ倒して……」
「いいからとりあえず家の中入れ」

 ヌンチャク片手に、マイキーは私の前で武勇伝を語りだした。フット軍団の残党をばったばったなぎ倒す話はなんだか長くなりそうな気配がしたので、私を含めて兄弟みんなでマイキーに家の中に入るように再度促した。

(フット軍団か……)

 彼らの親玉が捕まって、組織が空中分解したときいていたけど、まだ続いていたらしい。みんなが外でそんな危ないことをしているのかと思うと、ひとり家の中にいるのがなんだかもどかしく感じてしまう。

(私も、戦えたらいいのに……)

 今度スプリンター先生に教えてもらおうかな、と1人ごちりながら、私はマイキーを家に押し込めている兄弟たちの背に続いた。


   *  *  *


 闇の中に、ぽっかりと口だけが浮かんでいる。
 誰の口かは定かではないが、緑の肌であることから、私の見知った兄弟たちの誰かなんじゃないかなと思い立った。
 その口が、ゆっくりと動く。声が誰かはわからない。言葉は聞こえているのに声質が判別できない。まるで、テレビの証言で使っている変声機を通しているかのようだった。

『戦わなくていい』
「……どうして?」
『関係ないから』
「……私が?彼らと?」

 口がにんまりと笑みを浮かべた。どこかで見たことがある絵だと思った。さわやかな笑みだ。そこには悪もなければ善意もない。下卑た感情もない、ただの『三日月形に歪んでいる口』が浮かんでいる。そこでやっと、映画で見たアリスのチェシャ猫の笑みみたいだと思った。

『関係ない。お前は家族じゃない。兄弟じゃない』
「……!」
『だって誰も、お前のことに気がつかなかっただろう?』

 ――シュレッダーに体当たりした時。
 別にいいと思っていた。あのときは、ラファたちさえ助かれば別にいいと思っていた。気づかれてなかったことも、死にかけたことも。
 ただ、体中を掴まれて巻き込まれ、たなびく赤が遠ざかっていくとき……寂しいと。本当はそう思っていた。胸の中にしまい込んでいた感情が浮かび上がってくると、真っ暗闇の中に溶けていたはずの自分の目から、涙がこぼれる感触がする。

(本当は、気づいて欲しかった)
『でも気づかなかった。……そういうことだろう?』

 喉から嗚咽がせり上がってきて――私は、目を覚ました。

「…………」

 ゆっくり起きあがると、そこは私用に用意されたベッドの上。
 辺りはしんと静まり返り、部屋の灯りは落ちている。真っ暗な部屋の中に皆の寝息だけが聞こえてくる。道場も真っ暗だから、スプリンター先生も寝ているのだろう。私は、1人鼻をすすりながら暗闇に目を凝らした。時計の短針は、やっと時計の高さを半分降りたところだ。

(まだド深夜じゃん……寝直すのやだな……)

 目をこすると……夢の中の感触は嘘じゃなかったらしく、涙の痕が残っている。泣いたときのように鼻の奥はいつもより緩くなっていて、ずるずると音を立てた。

「……おい」
「……!」
「なに泣いてやがる」

 正方形型に四つ並んだ兄弟たちのベッドから、一つはみ出している私のベッド……それに最も近い赤色の寝台から、怪訝そうな声飛んできた。

「お、お、起きてたの……?」
「まあな」
「よ、よい子は寝る時間だよ?」
「お前も起きてんじゃねえか」

 それはごもっともだ。ぐっと私が言いよどむと、こちらに甲羅を向けていたラファがごろりと寝返りを打ってこちらを向く。夜目が効くせいで、彼の強い意志を持った瞳がこちらを見ているのがよくわかった。

「こっちこい」
「……へ?」

 目を細められて威圧されたので、訳も分からないまま彼のベッドに近づくと……乱暴に腕をとられて、ただでさえ狭いベッドの中に引きずり込まれた。落ちないようにと強く引き寄せられるせいで、腹甲が顔が押し付けられて、頬骨がごりっと音を立てた。

「ラファ、狭い……硬い」
「うるせえ、文句言うな!!」
「そっちのがうるさい……!みんな起きちゃうよ……!!」

 ぎくりと肩を震わせたラファは、口を閉じて辺りを見回した。幸い、十数秒たってもさっきと変わらない規則的な寝息が聞こえるだけだ。
 私たちはそろって安堵の息をついた。

「……ラファ、狭いってば」
「なら動かずに大人しくしてろ」
(降りるっていう選択肢はないのかな……)

 なんて思いながらも、私はさっきとは違う意味で安心しきって彼に寄り添う。落ちないようにか、ラファはさりげなく私の背に手を回して、そこをゆっくり撫でる。子供を寝かしつける母親みたいな手の動き。
 その手のおかげで、さっきまで見ていた悪夢がゆっくりとと薄れていく。

「お前、体温高すぎんだろ。熱い」
「仕方ないよ。恒温動物ですから」

 それ、ミュータントにも当てはまんのか?なんていう彼の純粋な疑問の声を子守唄に……
 私は今度こそ、優しいまどろみの中に沈んでいった。