いつもと変わらない検診。血圧を測ろうとして、ドナテロの少しだけ人間より堅い手が私の腕に触れる。こうやって改めて目の前の姿を見上げると、この人は本当に人間ではないんだと実感する。
「血圧は正常値で問題なし……と」
人と違う皮膚の色。指の数、背中に背負っている甲羅。そして、彼が年下であるという事実。どれをとっても普通の恋愛からはほど遠く、その障害は多分、今私が頭の中で想定しているよりも辛く大変なものだろう。
でも不思議と、不安に思うこともなければ、気後れすることもなかった。ぼんやりと目の前の姿を見上げる。大きくて丸いビン底メガネの向こう側にある瞳が、こちらを見た。
「……?どうしたの?」
「ん?んー……なんでもないよ」
なんでもなくはない。この間彼が叫んでいた言葉が頭の中をリフレインした。
――本当は、もう必要ないんだよ!!
検診はもう必要ない。私とドナテロを結ぶ「毒」という繋がりはとっくに断たれていたのだ。それを彼は今、「嘘」で懸命につなごうとしてる。そのことが申し訳なくもあり、そのまま私との繋がりを望む気持ちだと思うと……この時間が、ひどく愛おしいものに思えた。
「……本当にどうしたの?」
それでも、嘘は続かない。このままの時間が続けば彼は苦しむことになるだろう。次につなぐための嘘の準備と、今までついてきた分の小さな積み重ねに苦しむことになるだろう。
だから、私がそれを終わらせる。
「ねぇ、ドナ」
「ん?なに?」
「もう、いいんだよ?」
「……えっ?」
彼の表情がひきつる。レンズ越しの瞬きが明らかに増え、漆黒の瞳があちらこちらに視線を泳がせた。
「な、なんのこと?」
「定期検診のこと。……もう、治ってるんでしょ?」
「……っ!」
「ごめん。この間、聞いちゃった」
息をのむ音が聞こえた。ドナテロは明らかに動揺して、振り返りざま机の角に肘をぶつける。それはまるで悪いことがばれて、怒られるのを怖がっている子供そのものだった。
(言い方、悪かったかも)
「べ、別に深い意味はないんだよ。ただきみが心配なのは本当だし、後遺症の可能性はゼロじゃないし……成分分析が終わっても、油断できないのは本当だよ!きみの体で何かしてるわけじゃないんだ!僕はただの体を心配して……」
私がフォローを入れる前に、ドナテロはおびえながら言い訳をまくし立てた。私の言葉を拒むように両手を顔の前でクロスさせ、意味のない抵抗を見せる。こんなに巨体なのに、力も知恵もあるのに、そんな彼の無意味な抵抗がひどく愛おしい。
一つ欠点をいうならば、焦ったときに人の話を聞かないところか。
「ただ、ただ僕は…!僕はきみといたかっただけで…!」
私は彼の肩から下がっているショルダーベルトを引っ張った。
「……っ!?」
不意打ちに動揺して上体を下げたドナテロの首に、両腕をめいっぱい伸ばして絡ませる。漆黒の瞳が視界に広がるのを見ながら、私は彼と唇を重ねた。
たった一瞬、触れるだけのキス。それでも、勘違いに慌てていた彼の言葉を止めるには十分だった。
「……えっ、……?」
「……ちょっと落ち着いて」
離れてから、とっさに自分のとった行動を思い返して脈が速くなる。
私の言葉に、ドナテロは何度も強く頷いた。その勢いを見ると、本当に落ち着いているのか怪しいくらいだ。
「……だめなんて言ってないよ。ドナが私の体で実験してるとも思わないし。ドナ、理工学系でしょ。医学系じゃないよね」
「そ、そうだけど……それより、今の……」
追求されると恥ずかしくて死んでしまいそうになる。それでも、ここで意地を見せなければこの場がこじれるのは確実だ。私は大きく息を吸い込んだ。
「ドナは、検診がなかったら私と会ってくれないの?」
「えっ?そ、そんなわけじゃないじゃないか!会いたくなかったらわざわざ嘘なんてついて検診を引き延ばしたりなんて……あっ」
「いいよ。嘘だって、もう知ってるし」
ドナテロの顔が真っ青に変わる。さっきのキスと今の言葉で、彼はこの話の流れを未だに理解できずにいるようだった。相変わらず、話の流れやコミュニケーションに関してはピカイチの鈍さだと思う。
「嘘でも、うれしかった」
「……えっ?」
「ドナが会いたいって思っててくれたことが、すごく嬉しかったの。私も、毒が抜けきっても会いたいってずっと思ってたから」
「きみが、僕に……?」
「うん。さっきので、察してよ」
あまりに鈍すぎて、いっそおかしくなってきて……私は小さく笑みをこぼした。真っ青だった彼の顔は、さっきのできごとを思い出してるのか、徐々に鮮やかな赤へと色をにじませる。
「そ、それってつまり……」
「つまり」
「僕のこと、その……」
微かな確信とたくさんの疑問の意味合いを含んだ瞳がこちらをのぞき込んだ。不思議そうな瞳に、私はただ頷いた。
「僕、きみよりずっと年下だよ?子供だよ?」
「いいよ」
「そのブラックコーヒーだって、あれは無理して飲んでるだけで、本当は砂糖をたくさんいれるよ?」
「うん、いいよ」
「それに、僕はミュータントで……」
「でも、だから会えた」
私の言葉に、ドナテロの瞳がぱちぱちと瞬いた。
「ミュータントだから、この街を、私のお母さんを……私を助けてくれた。私はね、そんな年下で甘党の、ヒーローが好きなんだ」
「……ヒーロー?」
「そう、私のヒーロー。ニューヨークの隠れたヒーロー」
きっと、ティーンエイジャーの彼ならぴんとくる……と思ったのだけど、どうにも機械系オタクの彼には伝わらなかったらしく、呆然としたまま宙を見ている。
「僕が……きみの……」
理解するのに時間がかかったのか、彼の顔には徐々に笑みが浮かんできた。笑みと一緒に目尻にきらりと光るものが見える。
「そっか……そっかぁ……」
くしゃりと崩れた笑みは、彼の年相応の顔だった。新しく見つけた表情に私の方までなんだか嬉しくなってしまう。なんで早くこうしてしまわなかったのか、いや、そんなことは考える必要がなかった。だってもう、全てを伝えたんだから。
「ねぇ、……」
ん?と首を傾げた。きらりと光った雫が、彼の頬を伝う。
「僕、君のことが好きなんだ」
うん、私もだよ。そう頷くと、ドナテロは嬉しそうに両手を伸ばしたので、私は大人しくその中に包まれる。とくんと、心臓が鳴った。彼が救ってくれた、命の音が。
大好きよ、
マイヒーロー!
(私の、ちょっと弱気で特別な英雄様)