(ああ、最高に不愉快な気分だ……)

 腕に繋げられた採血用のチューブはもちろんのこと、立ったまま両腕を拘束されていることや、隔離するように透明なケースに収容されていること。さらには多くの人間にまじまじと見つめられていること……現在の取り巻く状況の全てが、ドナテロの不愉快指数を上げる要因でしかなかった。

(動物園の動物って、こういう気分なわけか……)

 テレビで見たことがある娯楽施設の一つを思い出しては、中の動物たちに同情する。今その状況を肌で感じているドナテロは、彼らに「わかるよ、その気持ち」と同調することが許される立場にある。と、そこまで考えてから彼は思考を現実に引き戻した。
 ここがどこかはわからなかった。フット軍団に拘束され、外の見えないトラックで運ばれた今、自分の居場所はおろか残されたラファエロやスプリンター先生の状況すらわからないドナテロの胸中には不安が渦巻いている。

(ラファ、僕たちの位置情報に気付いてくれたかな……)

 唯一拘束されなかった兄弟に希望を託した今、彼にできる事は何一つとしてなかった。唯一できる事といえば、ただ左腕の手首から血がゆっくりと抜けていく感覚を時間をかけて味わうことだけだ。しかし、そんな死に向かう感覚を味わっていられるほど、ドナテロは大人ではなかった。
 気分を誤魔化すために周りに目をやれば、ガラス越しの向こうにサックスの背中が見える。その正面には、白衣を着た人物と術衣を着た人物が入り混じり、7人ほどずらりと並んでいた。

「君たちにはこの生き物の血液を採取していただきたい」

 ケース外の声は、思ったよりも鮮明にドナテロの耳に届いた。微かなどよめきと、訝しげなたくさん視線ががこちらに向けられる。怯えの混じったその視線に、彼は辺りの様子を確認したことをひどく後悔し始めた。その時……それらとは違う、ひとつの視線に気が付いた。

(……なんだ?)

 白衣を着た一人の女性が、じっとドナテロを見ていた。いや、見ていることだけなら大したことではない。レオも、マイキーも、もちろん自分も異端であることは重々承知しているからだ。しかし、その女性は不思議なことに、ドナテロだけを見つめていた。その視線は畏怖でもなければ恐怖でもない……純粋な驚きだけを感じさせるもので、ドナテロは反射的にその女性を見つめ返す。

(どうして、僕だけ……?)

 視線が交わって数秒、不快感を感じさせない視線を見つめ返していると……ドナテロの意識が一瞬だけ飛ぶ。まるで船を漕いだかのようにがくりと頭が重力に従うまま落ちる。彼が次に気がついた時には、自分の収容されている箱の床が見えた。

(やばい、血が……)

 今まで血なんて抜いたことは一度もなかっただけに、頭の中が冷えていくような感覚に震えが走る。

「さぁ、始めたまえ!」

 そんなドナテロのことはお構いなしに、死刑宣告とも取れるサックスの楽しげな声が響いた。少し抜かれただけで意識が飛ぶほどなのに、これ以上血を抜かれたどうなるか……得体のしれない恐怖が足元からじわりじわりとせりあがってくる。

(ラファ、早く来てくれよ……!)

 隣りに目をやると、レオナルドもミケランジェロも抵抗する力が失われているのか、絶えず聞こえていた拘束具を引っ張る音が聞こえなくなっていた。苦しむ兄弟を救ってやりたいものの、同じ状況であるドナテロにできる事は何もなく、彼は微かに歯を食いしばった。

(くそっ……)

 兄弟たちの痛ましい姿を見ていると……ふと、その視界の端に落ち着きのない姿が映った。

(あれは……)

 先ほどドナテロと視線を交わらせた女性が、挙動不審に左右を何度も確認している。サックスたちはレオナルドを、他の研究員たちは己の作業に没頭しているのが幸いして、彼女の明らかに不審な行動を咎める者は誰もいない。しかし、フロアの全てを見渡せるドナテロからすると、その女性の挙動は明らかにおかしくて……自然と、目を引いた。

(彼女は、何をしているんだろう……?)

 先ほどのサックスの話からすると、血を抜くために呼ばれた研究員であることは間違いない。だというのに、彼女は小難しそうな機械を前にきょろきょろと明らかに怪しい行動をとっている。

(新人……?でも、そんな人がこんなところに来るわけが……)
「なんのためだ!!」

 思考がレオナルドの怒声にかき消され、中断する。隣の長男は険しい表情を浮かべ、その正面に対峙しているサックスを睨みつけた。圧倒的優位に立っているサックスは、さっきまでの子供のような無邪気な笑みを消して咳払いを一つする。

「我々の、計画のためだ。……私の持っているタワーを知っているかね?先が尖った塔だ。あそこには、何トンもの化学物質が入っている。……猛毒だ」
(猛毒……?)
「カライ、見せてあげなさい」

 柱の陰から進み出た女性は「やれ」と覆面の男たちに指示を飛ばす。両脇を掴まれている覆面の一人に、猛毒と説明されたタンクとつながっているマスクを押し付けた。途端、毒を吸わされた覆面は痙攣を始め、力が抜けて床に倒れ込んだ。じゅわじゅわと人から発せられるはずのない音が聞こえてくる。

(なんだよ、あれ……)
「ニューヨークに、あの毒ガスを撒くのさ。30分もすれば街は封鎖され、地獄に変わるだろう」

 さっきまで作業をしていたはずの研究員たちも、その手を止めて驚愕の表情でサックスを見ていた。