「私は、きみたちから抽出したミュータジェンを使って私の会社が解毒剤を作り……神としてこの街に君臨する。そして私の会社は儲かる。ホント、馬鹿みたいに」
『――ッ!!』
隣のガラスケースの中からが、一際大きく音をなる。レオナルドが怒りのままに拘束具を揺らしたからだろう。その大きな音を聞いて、ドナテロはふとあることに気が付いた。
(レオ、思ったより衰弱してない……?)
レオナルドが拘束具を外そうと暴れたさきの一瞬は、音からしてかなりの力だったことが伺える。新しい作業員が来て、いっそう血を抜かれて衰弱することを想定していたドナテロにとってそれは予想外の出来事だった。かというドナテロの頭も思っていた以上にまだ機能していて……瞬間、さっきの挙動不審な女性がふわりと思考に浮上してきた。
(さっきの人……)
未だ楽しそうに薄い笑みを浮かべているサックスの向こう側に視線を送ると、胸の前で手を組んでいたその女性とまた視線が交わる。その瞳は、まっすぐにドナテロのことを見ていた。レオナルドでもなく、ミケランジェロでもなく……ドナテロだけをただ一心に見つめている。表情は戸惑いと怯えが混じってかたくなっていて……原因は、サックスの恐るべき計画を聞いたせいか、それとも……
(何か、してくれたんだろうか……?)
都合のいい考え方かもしれないが、ドナテロはなんとなくそんな気がしていた。とっくに気絶してもおかしくないはずなのに、自分たちがまだ思考や行動ができるのだとしたら。もし、それが機械の故障などではなく、作為的な人的行動の結果だとしたら……
「……それにしても随分と、遅いな」
不信感のにじむサックスのつぶやきに、女性の肩がびくりと跳ねた。それで確信する。
(彼女、もしかして僕たちを助けてくれてるのか?)
人間からすれば恐ろしい外見をしている自分たちを、会ったこともない人間が助けてくれるなんて夢物語だ、と心の中のドナテロが呟く。それとは反対に、そういう人間だっているのかもしれない、と心の中のもう一人のドナテロは呟いた。
ドナテロの心の声が言い争っている中、サックスの指示で作業員たちは機械の再チェックに慌ただしく動き回り……そして、作業員とサックスの視線があの女性に集まった。
「ミス・ヒルダ。これは君の意図的な行為かね?」
「そ、そんな!違います!」
「ふむ、ミス・。君はどうだ?」
「…………」
「どうした、ミス・。黙っているということは、肯定ということでいいのか?」
その場の視線を一身に浴びている女性の喉が、小さく動いたのが見えた。つばを飲み込んだ彼女は、小さく息を吸って背筋を正した。
「……はい」
「潔くてよろしい。往生際のいい者の方が私は好きだな」
「……どうも」
(やっぱり、彼女が僕たちを……?)
ガラスケースの外に味方がいるということにドナテロはひどく安堵した。同時に、彼女が今責め立てられ、孤立状態でサックスと向き合っていることに自身も緊張する。
(大丈夫、なのか……?)
逃げ場はない。身一つの女性に対して、フット軍団は銃だのナイフだのといった人を害する凶器を持っている。そもそも、敵陣といってもいいこの場所で彼女が逃げられるわけがない。ドナテロの心臓がいつもよりも速い鼓動を打ち始めた。
「こんな、化け物ともいえる亀を?誰の指示もなく慈悲をくれようと?……君は聖母マリアのつもりかね?……ははは、はーっはっは!!」
笑い出したサックスの『化け物』という言葉に、ドナテロの心はずきりと痛んだ。しかしサックスの疑問は至極当然のものだとも感じたし、なによりドナテロの疑問の一つと一致している。ガラスを隔てているせいで途切れて聞こえる外の音声に、ドナテロは耳を澄ませた。
(彼女の、答えが知りたい)
目的を尋ねられた女性は、恐怖に身を竦めて小さく口を開いた。
「言いたまえ、何が目的だ」
「………………」
「……そうか、正義感大いにご苦労」
彼女の声は、聞こえない。掠れて震えていたソプラノの音だけは届くものの、その内容は何一つとしてドナテロに届くことはなかった。それでも、彼に一つだけ理解できたのは……彼女が、サックスと対立してまでも自分たちを助けようとしてくれているということだった。
せっかくの味方に喜びを感じている間もなく、彼女に近づいていく毒ガス入りのボンベを見てドナテロは目を見開く。
(ちょっと待て……まさか……)
「イイヒトほど早く死ぬというが、本当らしいな」
ドナテロの手に力がこもり、体が強張った。怯える女性は体を押さえつけられ、さっき以上に怯えた表情を浮かべて体を縮みこませている。その眼前へ、ボンベマスクが迫っていた。
(やめろ……)
「……やれ」
(やめろ!!!)
踏み出した足を、拘束具に止められる。彼女に向かうことも許されず、手を伸ばすことも許されず、歯を食いしばったドナテロの前で、無理矢理マスクを押し付けられた女性はもがき苦しみ……そして、床に倒れ伏した。