――頭が沸騰しそうだ。
ドナテロの体内に急激に入ったアドレナリンが、頭痛を巻き起こすほど彼の脳みそを活性化させていく。身体中の血管という血管が開いて、激流のように血がめぐっている気がした。暴れたくなる気持ちがそのまま力に変わり、両腕についていた拘束具が輪ゴムのようにあっさりと引きちぎれる。小さな特殊ガラスの箱の中で落ち着いていられず、目の前の特殊ガラスをぶち破った。
「うおー!なにこれスッゲー!よくわかんないけどスッゲー!!」
「俺は猛烈に掃除をしたい!道場を掃除したいぞ!!」
「うう、エンドルフィンエンドルフィン……!!」
ドナテロと同じように、際限なく上がり続けるテンションに従ってガラスをぶち破ったミケランジェロとレオナルドも、血が沸騰する感覚を持て余しているようだった。落ち着かないまま、ラファエロが落とされた階下へ降り(柵に躓いて半ば転げ落ちたのだが)己の武器を手に取りながら兄弟の顔色を見ると、意外にもラファエロは悪態をつくだけの元気が余っていた。
「急いでサックスタワーに向かうぞ!!」
「おう!」
「オッケー!」
レオナルドに同意した兄弟たちが出口へ向かおうとした瞬間、未だに沸騰してちらつくドナテロのまぶたの裏に一人の人間の影が横切った。
「待って!!」
勢いのままに飛び出そうとした兄弟たちの足が、ドナテロの叫びで軒並み止まる。勢いを殺しきれなかったミケランジェロだけが、地面にキスをしてしまう。足を止めたラファエロは訝しげな目でドナテロを振り返った。
「なんだ!!時間がねぇんだぞ!?」
「待ってよ!僕たちを助けた人がいるんだ!!助けなきゃ!」
「ハァ!?」
苛立ちで眉間にしわを寄せたラファエロに対し、レオナルドはドナテロの言葉に目を見開いた。
「あの女性、まだ生きてるのか!?」
「わからないけど、見捨てるわけにはいかないよ!」
アドレナリンに高ぶった声でヒステリック気味にドナテロが叫ぶと、レオナルドはすぐさま頷く。
「よし、行ってこい!俺たちは周囲の残党を見てくる!エイプリルたちも拾ってこないとな!」
「おい、レオ……!」
「ありがとう、レオ!!」
事情を知らないラファエロが判断に異議を唱える前に、ドナテロは自身の棒を伸縮させ、その大きな体を棒高跳びの要領で二階へと放り投げた。
ドナテロが二階へと飛んでいった後、地面とディープキスを終えたミケランジェロが軽快に体を起き上がらせて、落ち着きなくラファエロとレオナルドを何度も何度も見比べた。
「えっ?なになに、ドナどうしたの?何があったの?」
「俺が聞きてぇよ!」
「いいから、お前はエイプリル探して来い!!」
「エイプリル!?オッケー任せて!!」
* * *
二階へと身を躍らせたドナテロは、着地と同時に膝を曲げて勢いを殺す。体重を感じさせない軽快な着地の後、辺りを慌てて見回した。研究員が軒並み去り、フット軍団もあらかた外へと出たその場所は妙な静けさに満ちている。
(あの人は……!?)
自分のガラスケースを見て、そこから彼女を見ていた方向に視線を向けると……見覚えのある女性が床に手足を投げ出して倒れていた。
「っ……!」
ドナテロは慌てて駆け寄ってその体を起こした。彼女のむき出しになっている肌には、至る所に火傷をしたような、膿んだような赤い斑点が広がっていて痛々しい。床に広がっている白衣も、傷に触れていた箇所に赤い斑点が移っていて、ドナテロはその惨状に顔をしかめた。
(どうか、生きていて……!)
祈るような気持ちで、女性の口と鼻の前にそっと手をかざすと……本当に微かではあるが空気の流れを感じた。
「まだ、生きてる……!」
胸の中に安堵が流れ込んできて、同時に頭の中がフル回転を始めた。アドレナリンが後押しをしているせいなのかはわからないが、彼の頭の中には一瞬でいくつものフローチャートが完成し、プロセスが羅列していく。頭の中でチャートと化学式の計算をしながら、彼は彼女をそっと床に横たえて立ち上がった。
(使えそうなパソコン、何でもいい。できればパスワード解析のいらない使用中の……あった!ここからサックスのネットワークに侵入。できればばれないようにそっと、研究資料から成分を……ミュータジェン前提の解毒薬は意味がない。そうなるとサックサワーにある化学物質の一覧を……)
モニターから流れる1と0の羅列。黒い画面に浮かび上がる白い文字、止まらないドナテロの手と、その手が叩くコマンド。それらが彼の頭の中にあるプロセスを一つ一つ確実に達成していく。思考と行動の平行作業。もはや、それは無我の領域に近かった。
己が調べるべきごとを終えると、ドナテロは弾かれるようにモニター前を飛び出す。研究室内の棚を開け、大量の瓶の中から目的のものを探してかき集めた。焦る気持ちを抑え込んで、即席の解毒薬を作り続ける。
(早く、早く……!!)
出来上がった薬を、投薬用の注射器で直接血管へと送り込んだ。医療に知識のないドナテロにとって、行っている行為のすべてが知識だけで出来上がった仮初めのものだ。いつもなら、確実性のないそんな大胆なことはできなかったはずなのに……この時、不思議と頭の先からつま先までが迷いなく動いていた。
作業を続けるドナテロの頭の中には、戸惑いと怯えの表情の彼女がずっと映っていた。
(聞きたいんだ、彼女の口から……!)
彼は求めていた。怯えながらも毅然と頷いた、彼女の答えが。じっとドナテロを見つめていた、その視線の意味が。
「きみ、大丈夫?起きて、目を開けて!」
「……っ」
ピクリ、と半開きになっていた彼女の口が微かに動いた。悟りの境地に入りかけていたドナテロの意識が一気に現実に引き戻され、彼の中に時間と景色が戻ってくる。その後に、自分の声と周りの音が帰ってきて……頭の中に浮かんでいた言葉が、安心したせいかぽろりと口から零れ落ちた。
「今、口が動いた。呼吸してる……」
「…………っ」
「あぁ、良かった!本当に生きてる!」
ゆっくりとまぶたが開くのを見守っていると、ぼんやりとしていた女性の瞳が、ゆっくりとドナテロに焦点を合わせる。その視線に、彼の心臓はどくんと大きな音を立てた。
「瞳孔は……問題なし、呼吸も少し不規則だけど問題なし、意識はどうかな?」
「……ぁ……た」
「ああ、ごめん。しゃべるのは無理しないで。ゆっくりさせてあげたいけど、時間がないんだ」
「…………」
(あ、本当に人間の女の人だ。まつ毛が長くて、瞳が綺麗だな……)
場違いにも、そんな風に思った。
(笑ったら、どんな顔に……)
「ドナ、早くしろ!!」
そこまで考えて……外から聞こえる喧騒と、自分を呼ぶ声に我に返った。
(僕は、今なにを考えて……!)
一瞬で、かっと頭の中が燃えるように熱くなった気がした。顔を左右に振って、その考えを振り払う。今は緊急事態、そう、緊急事態なのだ。これはきっと、アドレナリンのせいだろう。
ドナテロは頭の中で何度もそう繰り返してから、彼女の膝の裏に腕を通して抱え上げた。
「ごめん、ここにはいられないから君を連れていくよ。揺れるけど、我慢して」
腕の中で弱々しく頷く姿を見て、ドナテロの中に一瞬で別の感情が芽生える。
(彼女を、守らなくちゃ――…)
喧騒と一緒に聞こえてくるラファの怒声に言い返して、ドナテロは走り出す。
腕の中の存在を感じながら……割れ物を運ぶような気持ちで、抱えた腕に微かに力を込めた。