少女は月夜の夢を見る

 暗闇の中、音がする。規則的な肉を打ち付ける音と、荒い息遣い。周りにはむせかえるような鉄の香りと、吐きそうなほどの酸い匂いが、ほこりくさくて暑苦しい木造建ての廃墟の中に充満していた。
 うっすら目を開ける。ノイズの入った視界には、私に覆いかぶさる影と、にんまりと笑っている三日月型の口。

(ああ、面倒だな…早く終わらないかな)

 見上げていた天から目をそらして横を向くと、そこには無造作に放り投げられたナイフホルダー。ちらりと三日月を一瞥すると、それは今の行為に夢中になっていてこちらの動向など微塵も気にしてないようだった。
 こっそり指先を伸ばすと、投げ捨てられたせいでホルダーから半身抜き身となっていたナイフの柄に触れることができる。中指を折り曲げれば、するりと地を滑った柄が私の掌の中に飛び込んでくる。

(終わらないなら――)

 終わらせればいい。私の手の中のサバイバルナイフがそう囁く。
 その囁きのままに、私はその切っ先で三日月の弧を引き裂いた。



   *  *  *



「おい!おいこの犯罪者!寝てんじゃねえ!」

 やや控えめにこめかみ辺りを小突かれ、私は閉じていた瞼を上げる。視界には、オレンジのつなぎを着た私のひざ元から足先が見える。鉄板を打ち付けただけのような簡素な床の上には、私の足以外にも黒いブーツが見えて、私はそれを目でたどった。
 座ったまま寝ていたせいか、首周りが痛い。筋張った感覚の肩を回しながら顔を上げれば、そんな私の反応を見て、目の前に仁王立ちしていたガタイの良い看守さんは青筋を浮かべて目尻をひきつらせていた。

「よう、犯罪者。寝起きはどうだ。つーか、護送車で寝るとは良い度胸してるじゃねえか」
「……おはようございます」
「よーし良い挨拶だ、俺のこと舐めてやがるな?」

 青筋を浮かべた看守さんが、ひきつった笑みを浮かべて拳の関節をぽきぽきと鳴らす。
 私は寝起きの頭を必死に動かしながらも、記憶の欠片を集めるために当たりを見回した。

 窓のない箱状の部屋。壁に沿って備え付けられている簡素な長椅子と、ひとつだけ拘束具を山のようにこしらえたVIPな椅子が一つ。運転席とこの部屋を仕切るのは鍵のついた網状の壁。
 部屋の一方向には外開きになって開いている扉が一つ、その外にはお揃いの青い制服を着た看守がずらりと並んでいた。

(あー…そっか、今日は護送の日だっけ)
「ぷぷぷ、看守さん。これで舐めてなかったらコイツ天然ですわ」
「相棒やめたげって、看守さん頑張ってるじゃーん?」
「うるせぇぞ!雑魚犯罪者1号、2号!」

 ぎゃはは、と汚い笑いが狭い護送車の中を反響する。
 一番奥の席に座っていた私の隣に、いつの間にか紫のモヒカンを携えた黒い肌の男が座っていた。その向かいには、モヒカン男とは対照的に白い肌の口ひげを生やしたガタイの良い男が同じように笑っている。
 怒りと愚痴を吐き捨てながら護送車を降りていった看守を笑いながら見送った二人は、看守の背中が遠ざかるなり私の方に顔を向けた。私がじっと見返すと、二人は犯罪者とは思えない人懐っこい笑みを浮かべる。

「ねぇねぇ、嬢ちゃんも犯罪者?オタク一体なにやらかしたわけ?」
「なんやウチらよりずーっとガキやんか、どうせしょーもない犯罪やろ」
「…別に、大したことじゃないよ」
「言うてみ?あれか、オヤジ狩りとかそんなんやろ?」
「相棒~、よく考えてみなって。そんな軽犯罪が、オレらと一緒に護送なんてされる訳ないっしょ」
「そらそうやわぁ、んじゃあなにやらかしたん?なぁなぁ」

 やたら食い気味にこっちへ質問を投げてくる男たちに、私は露骨に目をそらした。無視の体勢を取りながらも、二人は引き下がることなく執拗に質問を繰り返す。

「いやぁ、こんな嬢ちゃんが犯罪者とか、世も末だわ!」
「もうむっちゃ気になるやん~!答え、答え教えてえな!ヒント!ヒント!」
「ちょっとだけ!ちょっとだけでいいから!」
「……いや」

 うんざりしながら今度は顔ごとそらすと、護送車の後ろ扉から先ほどの看守がひょいと顔を出した。その手には書類を束ねたバインダーが握られている。

「おいおい、女だからって軽く見てるとお前らも殺されちまうぞ。なんたってその女は、第一級殺人で10人近く殺してるんだからな」
「うおっ!マジ!?」
「おおう…見た目によらへんもんやなぁ」
「…………」

 きゃっ!コワイ!などとわざとらしい裏声を出しながら、隣のモヒカンが私から身を離してゲラゲラ笑っている。その向かいの口ひげ男もつられるように大笑いしており、二人ともさして驚いていないことが伺えた。

「おい、ジョーンズ。囚人たちと戯れるのはその辺にしておけ…来たぞ」

 こちらを見ていた看守さんは声をかけられると、その表情を険しいものにすると、護送車の前からさっと身を退かせた。大騒ぎしていた二人の男性犯罪者も、好奇心と驚きが混じった表情で護送車の外を見ている。
 急に空気がピンと張り詰めた意味が分からず、私もならうように護送車の外を見れば――

 じゃらりと重い鎖の音を響かせながら一歩一歩地を踏みしめる…史上最悪の犯罪者が、強い光を宿した瞳でまっすぐにこちらを見据えていた。