錠は夜空に放られた

 妙な空気だ。動き出した護送車の中は静まり返っていて、張り詰めた空気が満ちている。車が動き出すまで私に絡んでいたモヒカン男と口ひげ男も、喉の奥をひきつらせて口を閉じている。しかし、よほど気になるのかちらちらと護送車の一番奥に座っている人物を何度も見直していた。

 ――ニューヨーク最大の重罪人にして、フット軍団の統領…シュレッダーがそこに座っているのだから、当然と言えば当然の反応かもしれない。

 護送車の前方に位置する長椅子に座っている私達に背を向け、拘束具だらけのVIP椅子に座っている彼と視線が交わることはない。しかし、そこにいるというだけで彼はこの護送車の中の空気を掌握しているような威圧感を放っていた。

(まさか、ここまで星のめぐりが悪いとは思わなかった…)

 この世界で吐き気がすることを軒並み体験したと思っていたけれど、まさか人生の大ラストまで不運について回られるとは思いもよらなかった。私は諦めの境地に至ってため息をつきたくなったが、車内の妙な緊張感につられてため息を飲み込んだ。

「なぁ、相棒…」
「気をつけて!お願いは、丁寧に…だ」

 隣のモヒカン男と口ひげは、互いに目を見合わせてうなずき合う。

「あの、シュレッダーさん?うちら、アンタの大ファンなんですわ。特に初代の犯行が…」
「オレはビーバップ。コイツはロックステディ!あ、でもジャマイカ関係ないっすよ。コイツ、フィンランド出身なんで~」
(怖いもの知らず…)

 憧れのバンドを追いかけるミーハーのごとく、さしてかわいくもない声色で二人の男がぎゃいぎゃいと二人だけで楽しそうに騒ぎだし、私は先ほどとは違う意味のため息を零しそうになった。ある意味、これらと残りの人生が一緒というのも頭が痛い話だ。
 犯罪者として捕らえられ、終身刑を言い渡された時はすべてを諦めてしまってどうでもいいと思っていたけれど、わずかながら嫌悪感という感情は残っていたらしい。とはいえ、拘束されている私にはなすすべがない。

「…おい、囲まれてるぞ…!」

 金網の壁の向こうから緊迫した看守の声がして、私は視線をそちらにやった。先ほどまで私たちを小馬鹿に人生の説教を垂れていた声には、一切の余裕が感じられない。
 ――一拍おいて、爆音が護送車の外から壁をすり抜け押し寄せる。四方八方から押し寄せる低音が車内に反響し、私達の頭を揺さぶった。

「……っ!」
「うおおおおっ!」

 車内がシェイクされるように、左右に大きく振れる。手錠で束ねられた手でなんとか体を支えると、一番後部の座席から低く唸るような笑い声が聞こえてきた。――シュレッダーが、勝ち誇ったように笑っている。

「おい、ショットガンの弾はどこだ!」
「カバンの中だ!」
「オイオイマジかよ。史上最悪の犯罪者を護送するって時に、弾倉を空にしとくのか!?」

 爆音、焦燥感のにじんだ声、そしてシュレッダーの笑い声。それらのピースが、私達を一つの答えに導いた。私の横に座っていたビーバップが、彼と顔を見合わせたロックステディが笑った。これから始まる祭りの予感に、二人は笑みを一層深くする。
 瞬間、天井から火花が顔をのぞかせた。目に痛いほどの熱光は、左右から護送車の鉄天井を切り裂いていく。

「うひょー!スッゲ―!」

 火花を散らす天井を見て二人の男が騒いでいる向こう側では、シュレッダーが拘束具を解いているさまが見える。一瞬、止めに走ろうかと一歩踏み出して…私は我に返った。

(いや、このまま見送った方が、この後が楽じゃないか)

 監獄の中まで冷えた空気を感じずに済む。そう考えただけで、自然と足が止まった。

(今まで私に冷たかった世界に対して、ここで体を張る必要なんてない)

 そう考えて立ち尽くしていると、地面が徐々に斜めになっていることに気が付く。体がぐらりと低い方へと傾きそうになるのを、私は足を着いて踏ん張った。

(後ろの車輪が…浮いてる…!?)

 ふと、天井から空が見えた途端に浮いていた車体が地面に叩きつけられ、私の体は長椅子の上でバウンドする。その衝撃で後ろの扉が外に向かって乱暴に開き、護送車の後ろを走っている車のフロントライトがこちらを眩しく照らした。

(あれは…ゴミ収集車?)

 クラクションを鳴らしながら、不思議な色をした収集トラックがぴったりと護送車の後ろについている。フロントライトの光は常にハイビームのせいで眩しい。逆光で車の中は見えないが、左右に謎のアームを携えたその車は明らかに普通のトラックとは違う風貌をしていた。

「くそっ!止まれ、シュレッダー!!」

 車に気を取られているうちに、運転席側から金網の壁を開いた看守さんが荷台に入ってくるなり麻酔銃を構えるが、ビーバップとロックステディが彼を体当たりで妨害してしまい。その間にシュレッダーは悠々と空へと昇って行った。
 体当たりで地に倒れ伏した看守のカギを二人は咄嗟に奪って自身の手錠を外すと、ビーバップが顔を上げて私を見る。

「ほーら、アンタにもやるよ!」

 私の手の中に飛び込んできたのは小さな鉄製の鍵だった。

「…どうも」
「相棒!運転しとった奴、転がしたったで!」
「さっすが相棒~~!このまま逃げちゃうか!」

 運転席を占拠して騒ぐ二人を横目に、私は天を仰ぐ。
 そこにはもう、シュレッダーの姿はなかった。ヘリコプターで逃げたのか、切り取られた夜空に映るのは綺麗な星空だけだった。開け放たれたコンテナの後ろから、もうライトは向けられていない。奇怪なゴミ収集車も、シュレッダーが逃げたことでその足を止めている。
 ピッタリとこちらをつけていた車。あれはこちらを護衛している動きではなく、追跡している者のそれだった。そこから、シュレッダーの逃亡を阻止しようとしていたことがうかがえる。

(残念だったね、収集車さん。でもきっと、そういう流れだったんだよ)

 逆らえない流れがある。その大きな本流に翻弄され続けてきたからか、すべてを諦めているからそう思う。
 私は遠ざかるゴミ収集車をぼんやりと見つめていた。だから、これからどうなるかなんてそんなことはどうだっていいことだ。きっとこれからさきも、なるようになるに違いない。
 錠を外した小さなカギを、満点の星が浮かぶ夜空へ投げ捨てた。