七等星はしずかに瞬く

「ドナ、車をシュレッダーに近づけろ!」

 レオナルドの言葉に、僕は無言でアクセルを踏んだ。急加速のGが体にかかり、僕も含めて車の中にいたメンバーが後ろに押し出されるようにのけぞる。

(あと少し…いい距離感だぞ、ドナ)

 自分を褒めながらアクセルを踏む力を一定に保つ。
 目の前を走行する護送車の屋根には、シュレッダーが今にもヘリに飛び乗らんと身構えていた。しかし、タートルバンの上にはすでにマイキーがシュレッダーめがけて狙いを定めている。気を抜かずに目の前の車をジッと見つめていると――

(あれ…?)

 開け放たれているコンテナの扉から、殺伐としたこの場にはあまりにも不釣り合いな姿が見えた。

(女の子――?)

 シュレッダーと同じ色のつなぎを着た女性が、こちらの車のハイビームに目を細めている。ガタイのいい男性がコンテナの中で乱闘している最中、見定めるような鋭い光を瞳に宿して髪の毛を風になびかせ、こちらを見つめている。
 史上最悪の犯罪者を捕えようとする場面としては明らかに不釣り合いで不似合な立ち姿に、僕は視線を奪われた。

「チャンスは一度きりだぞ!」

 真剣なレオの声音に、フォーカスしていた意識が引き戻される。僕は自分が踏んでいるアクセルの具合と車体スピードを確認して安堵した。意識は引っ張られていたが、自身の仕事に支障は出ていないようだ。
 安堵した矢先、身構えていたシュレッダーが一歩を踏み込んだ。

「――今だ!」

 合図とともに車体の上からマイキーが捕獲用の網を放った。ヘリに飛び乗ろうとするシュレッダーを捉えたその網は、その男の体を絡めとる――瞬間、空を切って道路に落ちる。

「…え?」
「…消えた?」

 動揺に思わずブレーキを踏む。兄弟は僕と同じように呆然としていたため、急ブレーキをとがめる声は一つも上がらなかった。
 そのまま数秒、誰もが黙って目の前の起きていた現象に唖然としていたが――遠くから聞こえてくるサイレンの音に、僕は今日二度目の正気に返る。

「レオ、よくわからないけど…撤退しよう」
「あ、ああ。そうだな。しかし、一体なにが…」
「おい優等生、考えるのは帰ってからにしとけ」

 ラファに小突かれたレオが、眉間にしわを寄せながらも頭を左右に振った。

「撤退する。マイキー、降りてこい!それからドナ、残りを回収して帰路についてくれ」
「OK、了解」

 運転席に並んでいる大量のボタンから、モップ印がついたものを押す。
 車体の下から吸引の空気音がするのを確認してから、僕は先ほど放った網や刀の真上を通ってそれらを回収しながら車を走らせる。
 ふと前方に視線をやると、先ほどまでカーチェイスをしていた護送車が、後方の扉を開け放ったまま走り去るのが見えた。
 一瞬、コンテナの後方から投げ出されたなにかがきらりと光を放つ。

(今のは、一体――)

 僕は小さい星のような光に引き寄せられて、そちらにハンドルを切っていた。


   *  *  *


「見た?俺の頭突き!」
「見た見た!見たし、感じたね。壁がぐわわわわ~んってなってた!」
「相棒!」
「相棒ー!」

 隣で紫のモヒカン男と口ひげ男がロックグラスをぶつけ合う。
 定番のジャズが流れている渋い雰囲気のバーで、私は昨日知り合ったばかりの男たちとカウンターで肩を並べていた。ぐいっとグラスの中の酒を飲みほした二人は、楽し気に何度か腕をぶつけ合うと、ふとこちらに視線をよこした。

「なんやなんや、自分テンションひっくいなぁ…」
「せっかく出てこれたってのに嬉しくないわけ?」
「出れたって言っても不法でしょ」
「俺ら不法もんの集まりじゃん。気にしない気にしない!」
(どちらかというと私は冤罪なんだけど…)

 楽しそうに酒を飲む二人に水をさすこともないと思い、私は言いかけた口を閉じた。

 ――シュレッダーが脱走した昨夜。
 看守さんを気絶させて縛り上げ、護送車を乗っ取ったビーバップとロックステディ、そしてたまたま乗り合わせていた私は、護送車をしばらく走らせた後に高架下で車を乗り捨てた。
 その後どうするか決めかねていた私は、喜び叫ぶ二人に引きずられるように連れまわされ――不法なお金と服を手に入れた。そのまま腹ごしらえにと行きつけのバーにやってきたのだが…。

(行きつけの店って、マークされるんじゃないんだろうか)

 周りを見回すが、お昼時を外れているせいか店内にはマスター以外誰もいない。釈放ビギナーズラックを感じながら酒棚を眺めていると、ガタイのいいマスターがカウンターの向こう側から、私達の前に一つずつ携帯機器を置いた。

「はい、ピクルスね…こっちのお嬢ちゃんもいるのか?」
「…私は別に必要ない」
「そうそう!その子、俺らが面倒みてあげてるペットちゃん的なやつだから」
「おー、そういやそうやな。着替えさせてごはんあげて…ホンマにペットやん!」
「女の子がペットとか響きやばくない?」
「やばい。相棒天才なんとちゃうの?首輪つけちゃう?」

 騒ぎ立てている二人を横目に、マスターが私の前に置いた『ピクルス』を下げる。私は小さく会釈をして、それを見送ったマスターは酒瓶の山の向こう側へと消えていった。

「ねぇねぇペットちゃん?そろそろ名前教えてくんない?」
「うちらでつけたったらええやん。なぁビーバップ」
「じゃあ相棒ならどんな名前つけるよ?」
「せやなぁ…アブサン?」
「それ酒の名前じゃん!センスねー!ありえねー!」

 アルコールが回ってきたのか、二人から出てくる私の名前候補は酒の名称ばかりだ。私は深くため息をついた。

「…
「…お?」
「…おお?」
「…私の名前ですけど」

 そう告げて私は、目の前に出されたサンドイッチにかじりつく。
 しばらく私の方を見ながら目を瞬かせていた二人の男たちは、数秒たって「相棒!」「相棒ー!」と互いを呼び合い楽しそうに盃をぶつけあっていた。