04 さまよえる暇人


 けたたましい目覚ましが鳴る。
 一般的な中学生が起きるにはあまりにも不釣り合いな時間――日が昇り始めたばかり。やることもなくぼんやりとしていた私は、ジャッカルくんのベッドサイドから響き渡ったその音に、不覚にもびくりと肩を震わせた。

(ええ? まだ5時半……)

 しかし、目覚ましが鳴るということは彼がその時間に起きたいと思っていることに間違いはない。
 ぞもぞと動き、低いうめき声をあげている布団の塊をのぞき込んだ。顔は見えない。

「……ジャッカルくん? 起きなくていいの?」
「……あと、すこし……」
「いや、私はいいんだけど……なにか用があるんじゃないの?」
「んー……あと、少し……」

 まだ覚醒しきっていないジャッカルくんは、母親に告げるかのようにぐだぐだとくだをまいている。
 気持ちはわかる。私もそんな、朝に抵抗するような時間を送ったことがある、気がする。記憶はないので定かではないが「わかる」と共感の気持ちを抱いたからには、きっと経験があるんだろう。
 とはいえ、こういった時に思った時間に起きれなくて戦慄するのは、結局遅く起きた自分なのである。私は意を決して、ジャッカルくん(という名の布団の塊)をのぞき込んだ。

「起きないと、後で困るぞー?」
「だから、あと、少し……だって………………ん?」

 寝ぼけているのとは少し違う間。何かを考えこみ、疑っているその疑問符が聞こえてきてから数秒。
 丸まっていた布団が吹っ飛び、ジャッカルくんが勢いよく起き上がって私を見た。

「あ、あ……!」
「おはよう。よかった、起きれたみたいで」
「あー……悪ぃ、すっかり忘れてた」

 どうやら私がこの部屋に来ていたという事実を忘れていたらしい。かといって責めるつもりのない私は「そりゃそうなるよ」と頷いた。

「いや、頷くなって。少しくらい怒ってもいいんだぞ」
「おいてもらってるのに怒るとかお門違いでしょ」
「……ホント、変な幽霊もいたもんだな」

 私のやりとりで完全に目が覚めたらしいジャッカルくんは、多くなあくびを一つした後に起き上がった。
 流石に着替えを見るのは気が引けたので、廊下に出て待っていると、手早くジャージに着替えた彼は剃刀を手に部屋から出てきた。

「……ひげ剃るの?」
「多少はな。でも剃るのは頭の方」
「スキンヘッドなのに?」
「スキンヘッドだから、だ。大変なんだぜ。これ維持すんの」

 へー、と生返事を返すと彼は「意外とわかってもらえねぇんだよなぁ」と言いながら1階の洗面所まで下りて行った。
 何となくついていくのがためらわれて廊下で立ち尽くしていると、一度階段を下りきった彼は、テープを逆戻ししているかのように数歩戻ってくる。

「廊下に立ってんのヒマだろ。来いよ」

 ぼんやり立っていただけだったが、そういわれて心が弾んだ。呼ばれることがこんなにも嬉しいことだとは思わなくて、私は促されるまま、一階まで下りて行った。
 それにしても、幽霊を呼び込むなんてなんて安易な人なんだろう。本当に、お人好しだ。


   *   *   *


「なんでソイツがいるんスか!?」

 ジャッカルくんが「ヒマだろ、来れば?」を繰り返した結果、私は何と立海大付属中学校までついてきてしまっていた。つい先ほど鳴り響いた昼休みのチャイムを合図に、屋上に集まったジャッカルくん、丸井くん、そして切原くん。
 言わずもがな、切原くんが言った『ソイツ』とは私のことである。

「なんでって、暇そうだったから」
「いや、だからって幽霊を安易に連れてくるとか、ジャッカルお前……」
「ジャッカル先輩、憑りつかれちゃったんすか!?」
「憑りついてないない。私普通にどこにでも出かけられるし」

 ジャッカルくんが授業を受けている間、私は元いた橋まで一度戻った。その上で、迷子にならない程度に散策して、適当な時間で戻ってきたのだ。もちろん、テレポーテーションのような未知の力ではなく、徒歩で。

「多分誰にでもついていけるよ。試しに丸井くんちついていってみようか」
「いやいやいやいや、いい。お前はジャッカルとよろしくやっとけって」
「なんか言い方なんかヒワイっすね」
「何が卑猥なんだよ、赤也! というか卑猥なんてよく知ってたな!」

 エロいことを考えるのは男子高校生のサガなのでは、というツッコミは野暮かなと、私はその言葉を飲み込んだ。
 ジャッカルくんと切原くんが取っ組み合いを始めたところで――その声は突然響いてきた。

「ジャッカルが誰がよろしくやっとるんじゃ?」
「それは気になりますね。確かに、どなたのことでしょう?」
「……!!」

 あまりに気配がなかったので、私たちは全員びくりと肩を震わせた。
 いつの間にか、丸井くんの後ろから銀髪の髪を持った人が取っ組み合う二人を眺めている。
 その後ろには、髪の毛を七三に分けて眼鏡をかけた男の人が、弁当箱を手に立っていた。

「よ、よぉ。仁王に柳生。お前たちも弁当か?」
「弁当は柳生だけ。俺は買い弁ナリ」
「ご一緒してもよろしいですか?」

 三人は顔を見あわせて「もちろん」と二人を促した。三人がちらりと見たのは、私の方。
 私と喋ると、三人が不自然になりかねない。何もなかったかのように私は口を閉じて大人しく座る。

「ところで、そこのは誰の知り合いだ?」

 仁王、と呼ばれた人の瞳が鈍く光ると、まっすぐに私の方を見つめていた。まるで、見えているかのような響きに、丸井くんと切原くんが顔を見合わせる。ジャッカルくんに至っては、驚いた顔で言葉を失うばかり。

「仁王先輩……見えてるんスか?」
「ああ、もちろん。名前、教えてもらってもいいかのう?」
「……名前?」

 まっすぐこちらを見つめる仁王さんの言葉に、私どころか3人も目を瞬かせた。今気づいた、とばかりに。

「……そういや、知らなかったっすね」
「いや、あんまり深入りすんのも良くないだろぃ」
「そりゃそうだけど、不便でもあるだろ。……お前、名前は何て言うんだ?」

 はた、と私も気が付いた。さて、私の名前はなんなんだろうと。
 自分の記憶がないことは知っていたけれど、『自分が何者であるか』を思い出そうとしたことはない。言われて、初めて記憶の糸を手繰り始めた。ぼんやりしていた記憶を、まさぐる感覚。

「……、だった気がする」
「……?」

 ジャッカルくんがそう復唱すると、こちらを見ていた仁王さんが目を見開いた。
 驚いたように瞬いて、目をこすって。もう一度私の方を見て、信じられないといった風に笑う。

「こりゃビックリ。ただのハッタリが、本当に見えちまうなんてな」
「ハッタリ? 仁王お前まさか、さっきまで見えてなかったんじゃ……」

 丸井くんが仁王さんを睨みつけた時。ただ一人、今の今まで黙っていた人物が首を傾げた。

「あの、先ほどから何のお話をされてるんですか? さんとはジャッカルくんの彼女ですか?」

 柳生と呼ばれていた反応に、私も含めた5人が顔を見合わせた。
 ――やはり私は、幽霊だったらしい。