14 問いかける無骨な声
季節のない死後の世界に、爽やかな晴風が通り抜ける。
野田の話を聞いてただ寄り添っているうちに――握りしめていた彼の拳の震えは、治まっていた。
「、もう……いい」
野田はそっぽを向いて、いつもより少し困った様子な声でそう呟いた。
それが、私の重ねている手のことだ気づくのに、私はものの数秒を要した。
「……そっか、わかった」
私が錯乱した時に彼が抱きしめてくれたように、私も彼の役に立てただろうか。
そんなふうに思いながら少し惜しんで、そっと手を離した。
「満足したか?」
野田は少し頬を染めながら、私の方を恨めしく見た。
確かに、彼が語った発端は私が訪ねた『どうして戦うのか』という質問だったことを思い出す。
「うん。野田が話してくれるなんて思わなかったから、驚いたけど」
「この話をしたのは――お前が初めてだ」
「……え?ゆりには?」
「してない。しなくとも、ゆりっぺは『好きにしたらいい』と言ったからな」
確かにゆりは、この世界にいる皆がそれぞれ事情を抱えていることを知っている。
知っているからこそ、野田がゆりを守ろうとすることについても事情があると呑み込んだのかもしれない。(彼女のことだから、いい手ごまが入ったと思ったのも大きいだろうが)
「でも、それならなんで私に――」
「尋ねるなら、自分からまず提示するのが筋だ」
その言葉に、私は目を丸くする。
「貴様の様子がおかしいのはわかっていると言っただろう。その理由が、生前のせいであることは明白だ」
「私の生前の話を聞くために、教えてくれたの?」
「義理堅い貴様のことだ。俺の話を聞いて、まったく喋らないないことはないだろう?」
(……読まれてる)
にやりと、野田は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
アホではあるが、付き合いが長い分、彼は私のことを理解している。
それと同時に、そこまで気にかけてくれていることが嬉しくて、むずむずした気持ちになる。
「私の生前はなんというか……両親が。特に父がクズだっただけで」
――家計が苦しくて高校にも行けず、家でずっと父の慰み者になっていたある日。
父が数人の男性を引き連れて、家に帰ってきた。そうして、手持無沙汰の私を指して言ったのだ。
『負け分は、こいつで払いますんで』
雀荘で賭けをして、負けが込んだらしかった。
父は窓とカーテン、そして部屋の鍵を閉め、男達はズボンのベルトを緩めながら私に手を伸ばしてきた。
この時の記憶と言えば、暗い部屋の中でいやらしく笑う男たちの醜い笑みと、変に生温かい体温。嗅覚がおかしくなるほど部屋に充満した男臭さ。それがすべてだった。
何人もの男が代わる代わる私の上に覆いかぶさって、視界は天井とおっさん。そればかり。
そうして父は――『私』を売ることに味を占めてしまった。
『げほっ、げほっ』
ある日、だるくて起き上がる気も起きないほど風邪をひいたのが発端だった。
一週間二週間と風邪の治らない日々が続き。ただでさえ栄養失調の上、さらに食欲のなくなった私は一気に痩せていった。妙な咳と、不気味なほどに痩せた身体。そのせいで『買い手』が付かなくなることは必定だった。
『おい、まだ治らねぇのか!これじゃ商売にならねぇだろ!』
そう言った父は、その時にはもう気が触れていたのかもしれない。
何を思ったのか、私の口の中に総合風邪薬の錠剤を大量に押し込んだ。最後に聞いた父の声はそれで。最後に見た姿は、私の横っ腹を蹴りあげる足だけだった。
――そうして、天井を見上げる私の視界から父が消える。
窓は締め切られ、カーテンで薄暗い部屋。シミのついた汚い天井。聞こえるのは弱くなっていく心臓の音と、水の中で聞いているかのような、遠い自分の嗚咽。
そんなBGMを聞きながら、私は確かにその狭くて暗くて汚い箱の中で死んでいった。
「……まぁ、そんな感じで」
私は一息つくと、手元にあったぬるい缶の残りを一気に飲みほした。
「だからこう、降下作戦の時はあの体勢がちょっと堪えたというか」
事故で野田が私に覆いかぶさった時。錯乱してしまった恥ずかしい記憶が思い返される。
私が苦笑すると、野田はわずかに私に手を伸ばしかけて……その手を引っ込めた。私と同じように手を握ろうとしたのかもしれないけれど、それが私の変な記憶を呼び覚ますのかもと気を遣ったのだろう。
「――悪かった」
「謝らないでよ!あれは事故だし、どんくさかった私が悪いし」
「いや。男の俺に話したい内容ではないだろう」
「え、いや……別に単なる事実だから」
逆に、野田に気を遣わせてしまう結果になってしまったことが申し訳なくもある。
大概言葉をかけにくい内容であることは自覚しているから、野田にどうしてほしいとかいう気持ちは特にないのに。
「それに……あの時は、野田に救われたから」
「? 男の俺に触れられて、不快だっだろう」
「全然。野田はその前に、あのクズ男じゃないって確かめてくれたから」
『俺は誰だ』――その言葉が、この世界に来た私に手を差し伸べ、一緒にいてくれた存在であることを確かめさせてくれた。だから、あの時抱きしめられても嫌な感じはしなかった。
思えば、あの時から既に……もしかしたら、この世界にきて手を差し伸べてくれた時には既に、私はこの男のことをが好きだったのかもしれない。
「……ならば、触れてもいいか」
彼にしては気づかわしげに、恐る恐るそう尋ねてきた。
その目は哀れみじゃなく、いつもの彼と同じ。仏頂面でまっすぐな、いつもの彼の目だった。
「……いいよ、野田なら」
ゆっくりと伸びてきた手が、ベンチについていた私の手に重なる。
誰かを守るために鍛えてきた、男らしくて頼もしい手。いやらしさなんてなくて、ただ私を励ますためだけのぎこちない手。私はそれに安心感を感じながら、自分の頭を野田の肩にそっと乗せる。
私達はそのまま――言葉を交わすことなく、ただただ身を寄せ合った。