「ランドル。あなたに仕事を1つ任せるし」
 ステルラ島を後にした飛空艇。その甲板で鍛錬をしていたランドルに、突然やってきたティコが唐突にそう言い放った。
「はぁ? なんだよ、藪から棒に」
「私はラガッツォの治療で当面忙しいんだけど、気になる症状の人がいる。その人を頼みたいし」
「そりゃ、あんたには世話になったから頼まれてやりてぇが……」
 ナビスとの戦いで重傷を負ったランドルは、治療をしてくれたティコには当然頭が上がらない。
 義理堅いランドルとしても、そもそも無下にするつもりなんて毛頭ないが――それにしても彼には一つ懸念があった。
「俺は医者でもなんでもねーぞ」
「そんなことはわかってるし。傍で様子を見てくれればいいの」
「つっても、医者のあんたが気になってるってことは、患者なんだろ?」
 体幹を重視する格闘家として体の歪みには気づけても、医者が気にかけるような事象に気付けるとは思えない。それがランドルの懸念だった。
 猪突猛進な幼馴染より、人の感情や表情の機微には鈍くないつもりだが、それらをつぶさに読み取って医療とつなげる医者のティコに敵うとは到底思えなかった。
「まぁ、気になってはいるけど、明確に病人ではないかな。それに――」
 ティコは何かを思い返すように、視線を明後日の方に彷徨わせ、何拍か口を噤む。
「――これはあなたにしかできないし」
「俺にしか? なんだそりゃ」
 ランドルは怪訝そうに眉間にしわを深く寄せた。
 蹴りについては誰にも負けるつもりはないが、それ以外のことで自分にしかできないことがあるとは到底思えない。むしろ、多種多様な騎空団員がいるこの船においていえば、自分にできないことの方が断然多いとランドルは自覚している。
「ああもう、ごちゃごちゃ言ってないで、私に借りを返すと思ってその人のところに行くし!」
「お、おぉ……?」
 ぐいぐいと背中を押され、ランドルはやや訝しみながらも頷いた。
 普段脳筋過ぎて多くの人に諭される強敵と同じような立場に立たされたことにわずかな不快感を覚えながら、ランドルは自分の背中を押すティコを首だけで振り返った。
「つーか、そもそも誰を見てりゃいいんだよ。俺は」
「それは――」


   *


 機空挺の廊下。ある一室の前に、ランドルは立っていた。
「……」
 時おり用事があってこの部屋を訪れることはものの、今は気兼ねなく来ていた時とは少しだけ心持ちが違う。
 手合わせを願いに来たわけでも、仕事の打ち合わせに来たわけでもない。ティコに頼まれてきたものの、用事がない手ぶらな訪問は、ランドルを少しだけ落ち着かない気持ちにさせた。
「……何そわついてんだ、俺は」
 今まで色気に縁のゆかりもない強敵(脳筋)と一緒に来ることが多かったから気づかなかったが、冷静に考えればうら若き乙女の部屋である。その意識を取り払うように、ランドルはわざとらしい咳払いの後、コンコンとノックをする。
「――『団長』。ランドルだ。中にいんのか?」
 その部屋は、この大規模な騎空団のリーダーであるの部屋だった。
 ステルラ島ではナビスを相手に自分たちと大立ち回りを行い、走り回っていた。
 その時にラガッツォとは別の監査屋と戦ったとは聞いていたが――。
(……調子が悪いふうには見えなかったけどな)
 負傷したフィオリトこそ担いでいたが、その後の露払いや治療の手伝い、ステルラ島を立つまでの折衝に準備、彼女は普段と変わらない様子をしていたようにランドルは思った。
 ステルラ島にいる間はいつだって冷静で、けれども絶えずその足で駆け回っていて。いつもと変わらず先陣を切って戦い、元気そのものだった。当然、疲労はあるだろうけれど。
(いや、俺が鈍いだけか……?)
 尋常じゃない脳筋といることが多いせいか、どうにもその男と比べて自分はまだまともに感じるだけで。実は自分も気遣いできる男たちと比べれば、十分に鈍くて粗雑なのかもしれない。
 そんなことを考えていたら、ランドルは急に自分の眼が節穴に思えて、団長が心配になってきた。
「団長。おい、いないのか? 開けっぞ?」
 乙女の部屋、という遠慮を心配が上回り、ランドルはガチャリと木の扉のノブを回した。
「――なんだよ、いんじゃねぇか」
 目的の人物は、ランドルの呼びかけにも答えず部屋の隅にいた。
 いつも腰に携えている剣を机に置いたまま、ベッドの上――部屋の隅で、膝を抱えてぼーっとしている。
「……団長?」
 そんな彼女の様子を十数秒眺めて、ランドルは違和感に気付いた。
 明らかに反応が鈍い。意識が無いのか、宙を眺めてぼーっとしていて……そもそも、今ランドルが声をかけていることすら認識できているか危うい様子だった。
 じわじわと心配がにじんできて、ランドルはの傍に歩み寄る。それでも彼女は気づいていない様子で、どこかわからない宙を眺めている。
「おい、団長」
「……」
 ベッドに膝立で乗り上げ、彼女の肩を掴む。
「団長、聞こえてんのか」
 ランドルがすぐ目の前にいるのに、まるで何もないかのように、の焦点は定まらない。
「おい――!」
「!」
 大きく揺さぶって、名前を読んで。そうしての焦点は、やっとランドルを捉えた。
「ランドル、いつの間に……どうしたの?」
「どうしたのって、そりゃこっちのセリフだぜ」
 彼女がしっかりと自分を見たのを確認したランドルは、ほっと一息をついて、彼女の肩を掴んでいた手を放し、身を引いた。そうして、靴裏をつけないようベッドの上に座り込み、ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜた。
「なるほど、こりゃティコが心配するわけだ」
「ティコ? なんでティコが私の心配を?」
 ランドルは普段、幼馴染につくような大きなため息をついてから、ことの経緯を手短に話した。
「ああ、そういうことだったんだ。心配させてごめんね」
「ステルラ島で何かあったのか? 実はすげぇ重症を負ってるのを隠してる、なんてことねぇだろうな」
「それ、そのままそっくり返すけど?」
「うっ……」
 うめいて目を逸らすランドルを、はジト目で不満そうに見つめた。
 ステルラ島でランドルが負った怪我は、肋骨11本の骨折に大量出血、内臓破裂寸前、肺に骨が刺さっていて。ついこの間までそんな状態の人間に言われるのは、にとっては些か不満だった。
「それに、深達性の熱傷が魔力と一緒に残留してるって言われてたよね。そっちは大丈夫なの?」
 重症で絶対安静と言われていたのに、ランドルは占星武器ジュワユースを手に、戦いの地へとやってきた。挙句の果てに、フェザーと一緒になってラガッツォとやりあったという。
 無理に無理を重ねていたのは誰が見ても明らかで、は座り込むランドルの腕や肩をぺたぺたと触った。
「だーっ! 無遠慮に触んな! あんくらい屁でもねぇよ!」
 拳を交えるのとは違う触れ合いに、ランドルはわずかに頬を染めると素早く身を引く。
「ティコの腕は一流だ! 俺はもうなんともねぇよ。信じとけって」
 ランドルが身を引いたことで、彼の体に触れていたの手は空を切る。
「それなら、いいけど……」
 彼女は語尾を小さくすぼめながらつぶやくと、空を切った手をもう肩の方の手で握った。
 ――その姿に、ランドルは違和感を覚えた。
 いつも冷静で快活な弊騎空団の団長は、人を信じることに特化したお人よしだ。
 無茶をする団員を心配もするし、先ほどのように軽口も当然言うが、団員が大丈夫だと言えば大丈夫と信じるタチだ。ランドル自身への信頼はもちろんのことだが、今回については治療を担当したティコへの信頼でもある。
 それなのに、いつもの気丈な姿はどこへやら。ぼんやりと不安そうな表情を浮かべてばかりだ。
 堂々とした肩を丸めて縮みこむ彼女の姿は、ランドルにとっていつもの十数倍小さく見えた。
「……なあ、マジでどうしたんだよ。団長」
 ランドルは騎空団の中でもと付き合いの長い方だが、今の彼女は明らかに“おかしい”。
 握り締める手は本当にわずかだが震えていて、ランドルは思わず彼女の手の上に、自分の手を重ねた。
「――わからない。でも、あの時からおかしいの」
「あの時?」
「ラヴィリタと対峙して、一度気を失ったとき」
 ランドルとフェザーがラガッツォと大立ち回りをしていた裏側。フィオリトと組んでいたは、戦闘開始早々に気絶をして、その後フィオリトがラヴィリタとやりあったのだという。
「何で気絶したかも覚えてないけど……起きたら、違和感があって」
「違和感って、どんなだ」
「わかんないけど、足元がぐらついてるみたいな。眩暈とは違う、不安があって」
 ぶる、との身体が震える。
 重ねていた手からもそれが伝わり、ランドルは重ねた手に少しだけ力を込めた。誰よりも前に立ち、誰よりも体を張って騎空団の先陣を切る少女が、ランドルには今とてももろく見えた。
「今まではどうとも思ってなかった不安やこびりついて、消えなくて。いろいろ考えているとぼーっとする」
「…………」
 その話を静かに聞きながら、ランドルはここに来るまでに聞いたティコの話を思い出す。

――怪我とかではないんだけど。団長さんの魔力っていうか、エネルギー?魂?みたいなのに揺らぎがあるし。
――病気でもない。直せるものじゃないし、それが壊れてるわけじゃなさそう。
――どういう方法か分からないけど、多分、気絶の原因が今団長さんを一時的に不安定にしてるし。
――いつもしっかりしてる人だから、すごく心配なんだよね。あなたは知らないだろうけど、団長は――

「その不安つーのは、俺のことも入ってくるか?」
 そう言われ、はびくりと顔を上げる。その表情は、明らかに狼狽えていた。
「ティコから聞いた。俺の治療中、すげぇ頻度で見舞いに来てたって。コルル探しの合間に、暇さえ見つけりゃ顔見に来たんだってな。意識がなかったから、全然知らなかったけどよ」
 気丈なの眉尻が下がり、気まずそうに眼を逸らす。
 今不安定なのは気絶の影響かもしれないが、がランドルの見舞いに訪れていたのは、その気絶が起きるずっとずっと前だ。つまりは、彼女が不安定になる前からランドルのことを心配していたことに他ならない。
 多くの団員から好かれていて、強くて、快活な彼女が。ティコ曰く、何度も不安そうにランドルの様子を訪ねてきて、扉の隙間から顔を見ては少しだけほっとしていたのだという。
 意識のない間にそれが行われていたのを想像すると――ランドルは、少し胸が熱くなる。
 それは自分がフェザーを庇った時のような、強敵に対するこだわりか。それとも、別の何かか。
「……ランドルは自分の状態がどうだったかを知らないでしょ」
「そりゃ、まぁな」
 フェザーとっさに庇ってすぐ気を失ったから、当然ランドルにそれを知るすべはない。ただ負った症状を聞いた時はよく生きてたもんだとは思ったが。
「私は、血の気が引いたよ。ランドルが目覚めてくれるまでずっと不安だった」
 目を伏せていたが、ランドルを見つめた。自分の手の上に重ねられた彼の手を、ぎゅっと両手で包み込む。
「今までなかったことじゃない。団の皆が命の危機にさらされることなんて何度もあった。その度に悔しい思いをしてきたし、治療してくれる仲間を信じもしてた。今回もそう、ティコがいてくれたから、治るって信じてたよ」
 なんなら、今休んでいるラガッツォもいい勝負なくらい重症だ。彼は仲間ではないけど、フェザーから聞いた彼の生い立ちを思えば心配に値すると言う。それでも――。
「でも……なんだろうね。私もよくわかんない。君が目を開けるまで、落ち着かなかった」
 眉尻を下げて、はくしゃりと笑った。
「ランドルはとっくに元気になってるってわかってたのに、今頭や足元がぐらついて……あの時の不安がぶり返してて。おかしいよね。でも、多分すぐ戻ると思うから――」
 がランドルの手を離した瞬間――彼女は、頭の後ろに回されたたくましい腕によって、目の前の男の胸へと引き寄せられていた。ランドルにとっては、それはもはや無意識で。『反射』に近い反応だった。
「……ランドル?」
「あー……その、なんだ。ちょっと黙ってろ」
 ぶっきらぼうに投げかけられた言葉に、は少しの間、言われた通りに黙り込む。
 抱きかかえられてうずめた胸から、とくとくと心臓の音がして、は表情を緩めた。
「……聞こえんだろ」
「……うん、ちょっと速いね」
「うるせぇ」
 自分の胸の方から聞こえる「ふふ」という小さな笑い声をランドルは一蹴した。
 別に、最初から心臓の音を聞かせるつもりじゃなかった。うぬぼれかもしれないが、大勢の団員に慕われている目の前の少女が、自分のことに固執して心配していたという事実に、いつもとは違う胸の熱さを感じて。
 本当は――反射的に、目の前にいる少女を抱きしめたくなっただけだ。
 心臓の音は、とっさにした誤魔化しにしか過ぎない。アホの自分なりにはうまく言ったもんだと、ランドルは自分の機転に関心すらしていた。
(つーか、なんなんだよ。これは……)
 強敵と戦う時とは違う、身体を巡る熱さ。戦いの時に脳に来る痺れとは違う、頬の熱と抱きしめたい衝動。
 その名前をなんて呼ぶのか、に強敵以外の何を求めようとしているのか。わかりかけているのに、ランドルはそれをどう扱うか考えあぐねていた。
「ねぇ、ランドル。もう少し聞いてていい?」
「……好きにしろよ。減るもんじゃねぇし」
 なんなら心拍数は増えそうなものだが、その程度で目の前の少女が不安な顔をしなくなるかと思えば安いもんだ。ランドルは自分にそう言い聞かせて、今の脈拍をどう落ち着かせるかを必死に考え始めた。

揺らぐ星のひと間