保健室、その扉の前で私は立ち尽くした。
音無と天使が保健室に付き添いで二人っきりと聞いたので、音無をからかって煽ろうと思った矢先、私は聞いてはいけないことを聞いてしまった。
『皆でここを卒業しよう』
音無の台詞が頭の中でぐるりぐるりと巡り、回る。理解出来る内容なのに、それを体が拒否反応を起こして吐き気を催した。
(それって)
足音を立てないように靴を脱いで、靴下で廊下を駆け出す。全力疾走でぐんぐんと保健室から遠ざかる。少しでも、早く遠くに。現実逃避なのは分かっていた。でも逃げるしかなかった。
(卒業って…………消える事?)
保健室からは程遠い人気のない廊下で立ち尽くす。
音無が、救ってくれる。そういう話だ、さっきの話は。青春を送れなかった少年少女にもう一度青春を。そういう素晴らしい舞台なのだここは。
(消える…………)
みんな消えて、いなくなって、静かになって、全部忘れて、もう会えない。
ぞっとした。勿論いいことなのは分かってる。つらい過去を背負いながら戦うことは何よりも辛いこと。報われた気持ちになって、次へ行けたら勿論"イイコト"なのだ。
(藤巻に、会いたい)
青春時代、父親に軟禁されて虐待されて、学校に行けなかったら私は恋がしたかった。だから私がここで藤巻に恋をするのは道理に叶ってて、私は今凄く幸せなのに。
――けれど、もし、皆が、藤巻が消えてしまったら?
「……藤巻!!」
「ん、か?」
「藤巻!!」
「うぉっ!!」
廊下で見つけた藤巻が振り返ったので、私は思い切りダイブして抱きつく。勢いに押された藤巻は一瞬よろめいたが、すぐに体制を立て直した。
「なんだ、どうした?」
「あのっ……!!」
抱きついた状態から、藤巻を見上げた。鬼気迫る私の様子から、藤巻は真剣に訪ねてきた。しかし、言いかけて、のどの奥で言葉が止まる。消えてほしくないのは私のエゴだという事に気付いたからだ。
「……?んだよ途中で止めて。気になんだろ」
「……なんでもない」
現世で恋が出来なくて、此処で藤巻を好きになって、消えてほしくないのは『私』だ。
藤巻には藤巻の辛い過去があって、それに抗って戦っているのは藤巻だが、それは本当に彼の幸せなのか?報われた気持ちになって、新しい一歩を踏み出すほうが『幸せ』かもしれないのに、私は何故止めようとしているんだろう。
「う……うぅぅうう……!!」
「お、おい!?なんでいきなり泣くんだよ!?」
悔しくなって、藤巻のブレザー握って泣き出した。
私が『皆の幸せ』のために動こうとしている音無を邪魔する権利などどこにも、ない。止めたいのに、止められない。皆に幸せになって欲しいけど、SSSは続いて欲しいという私のこの我が儘。
「うぅぅ……藤巻ぃ……!!」
「だから、なんだっつーの……ほら、泣きやめよ」
最初は狼狽えていた藤巻も、泣いていた私の頭を撫でて小さく苦笑した。その顔を見て、私は余計に言えなくなって、余計に泣きやめなくなって、嗚咽を漏らした。