コンコン、とノックの音が聞こえた。何かとふと目の前の玄関の扉を見ていると、その扉の装飾の曇りガラスに、ノックしている丸い拳が1つぼんやりと映っていた。
(チャイム押せばいいのに)
そんな事を思いながらぼんやりと立っている間も丸い拳はひたすらノックをし続ける。ああ出なくちゃ、と思いながら取手に手を掛けようとすると、ノック音が一つ、増えた。不規則に重なる、突然増えたノック音に動揺を隠しきれずにドアノブに触れようとした手が完全に止まる。
コンコンコンコン
停止したまま曇りガラスを見れば、拳が2つに増えている。
コンコンコンコンコンコン
気が付くと3つに、その次には4つ、5つ……と、数分もすると、曇りガラスには気持ち悪いほどの拳が扉をノックしていた。
(……何、これ?)
あまりの事態に動揺する。視線は、曇りガラスいっぱいに映る拳達に完全にホールドされる。そして完全に私も停止する。
コンコンコンコンコンコン……ドンッドンドンッドンドンッ
私が反応しないことに苛立っているのだろうか?最初こそ紳士的にノックしていた拳達が、段々と暴力的に、荒く扉を叩く。いや、既に叩くの域を超え、扉を殴っている。早く、早く扉を開けろと、私を急かす50を超えたのではないかと思わせる手が、扉を殴る、殴る。それは豪雨の様に、扉に、私に、降り注ぐ。
(怖い)
扉の前で、耳を塞ぎ、目を閉じてしゃがみこむ。どうせこれは夢だから、早く、早く覚めて欲しいと必死に祈りながら耳を塞いだその向こう側の、扉を乱暴に叩く音を微かに聞きながら……
――目を覚ました。
(……ホントに夢だった)
ベッドの上でのっそりと起き上がる。ばくばく音を立てる心臓の音を聞きながら、周りを見回せば、勿論私の部屋だ。しかも、夢の原因が寝起き一発にして即分かってしまった。
(う、うるさい……)
雨だ。しかも結構な豪雨。夢の中の比喩は、比喩ではなかったということだ。
しかも、それに拍車を掛けているのが窓だ。横なぶりの雨に叩かれる音がこれでもかと響いて、窓ガラスがその音を膨張させて、うるさいといったらない。
「…………」
絶え間なく天窓を叩く激しい音に、先程の夢を重ねてしまってぶるりと震え上がった。
そ れから、眠れなくて自販機へと密かに向かう。買った缶を片手にちらりと壁時計を見ればまだ深夜の2時半だ。朝がきて、皆が起きるにはまだ遠い。
「……おい」
「ひっ……!」
予想外の声が一つ増えて、肩を震わせて悲鳴を漏らせば、声をかけた本人も動揺したのか少し狼狽えた声を上げる。
「なっ、なんだ、化け物を見たような声をあげて」
「あ、野田か……」
そこにはTシャツに下ジャージの野田がいた。驚かさないでよ、と言えばこっちの台詞だ、と切り返される。
「野田は飲み物?」
「……貴様は何だ」
「疑問で返してくるな。雨のせいで夢見悪かっただけだよ。つまり気晴らし」
「雨くらいで夢見が悪いのか、難儀なやつだな」
訝しげにする野田にその様子を見せに部屋に連れていけば、その膨張され絶え間ない音を聞いて野田が眉間に皺を寄せた。彼が納得した所で扉を閉める。
「つー訳で、私は暫くしたらまた寝るから」
野田を送り出そうとぽんと肩を叩けばまた訝しげな顔をする。
「ほら、おやす」
おやすみ、と締めくくろうとした所で手を取られる。少しだけ肌寒い空気に触れていた左手がじんわりと暖かくなる。野田の手の温度だ。そのまま私は手を引かれた。
「ちょっ、野田ー?」
「俺の部屋を貸してやる」
「……は?」
「あんな所で寝たら悪夢にうなされるのは目に見えている」
まぁ確かにそういう不安もあるが、などと考えているうちに寮の野田の部屋へとたどりついた。本人曰わく、同室は追い出したので誰もいないとのこと。静まり返る部屋で、野田はベッドに寝転んだ。もう一つのベッドを指さしてそこを使えと指示した。
「使え」
「……野田」
「なんだ」
「ありがとう、大好き」
背中を向けている野田の肩がびくりと震え、ホントに小さな空気を飲み込む動揺の音がしたが、私は雨のせいで聞こえないことにした。