「よ、」
「……藤巻」
不満げに、屋上から先程まで最後の戦闘を行っていた校庭を眺めていた私の背後から声がかかる。屋上にはめったにこない私は、いつもより高い視線を堪能していたので声には振り返らなかった。
声だけで誰かだなんて判別できている。なぜなら、声を一言聞いただけなのに私の胸はこんなにも急激に動悸運動を始めたから。つまりはそういうことで、振り返らない理由がここにも実はあったのだが、多分それは声の主には一生分からないことだろう。
「てめぇまだ残ってたのかよ」
「まーね」
私の隣の手すりに添い遂げるように藤巻はすっとそこに移動してきた。必死に平常を偽りながら、私は出来る限り彼を見ないようにぼんやりと校庭を眺めているフリ。
「藤巻こそ、まだ『卒業』してなかったの」
ふ、と鼻で笑ったのはもちろん皮肉。それに苦い顔をしたのだろう藤巻はあー……と言い訳がましい声を上げながら頭の裏をがしがしと左手でかきむしる。
「俺は未練ったらしいからな」
「なにそれ、いばれないでしょ」
そう言って私は彼が屋上に来てから初めて、その姿に目を向ける。小さく笑ってそちらを向けば、それに気付いた藤巻もこちらを向いて、自分を馬鹿にするように笑った。
「てめぇと最後に何も話してなかったからな。他の奴らは『はそういう奴だから』っつって先にいっちまってよ」
「律儀ね……」
出会った当初に大雑把で粗っぽいと思っていたのがいかに間違っているかがここで改めて証明された瞬間だった。
(告白、すべきかしら)
したら多分もやもやは無くなるんだろう。自己満足する方面で私はすっきりするに違いない。また、藤巻だって結構はっきりする人間だから、好きだと返してくれるにしても悪いと謝れるにしても多分呆気なく終わる。
仮に俺も好きだと返されたらどうしようか。もちろんこのまま『卒業』したくなくなるだろう。二人で永遠に此処に生きたくなる。消えたくないと、卒業したくないと、昔を懐かしんで駄々をこねる子供のように。
(……そっちのほうがよほど未練たらしい)
その瞬間、私は想いを告げに此処を去ることを決意した。私の最後の『プライド』だった。『藤巻の前のいつもの』を演じる最後だ。最後は、綺麗が良かった。
「藤巻」
「ん?」
「私、アンタに言いたいことがあったのよ」
「……なんだよ」
自嘲して、私は口を開く。
「『あった』のよ。今はもうないの」
「……んだよ、それ。気になるじゃねぇか」
消化不良なのか釈然としない藤巻を見て私はつい笑う。それから彼に右手を差し伸べる。
「次に会う時。その時にちゃんと言うわ」
「…………」
「ね。だから、それまでは……バイバイ」
ガラにもなく「バイバイ」なんて言葉を使った。さよならなんて見るからに別れの言葉、使いたくなんて無かった。握手を求めた私はそれが受け取られるまでかたくなに動かない。
ふと藤巻が笑いながらその手を握り返すと、ふんわりとした温かさに包まれて彼の存在が薄くなっていくのが感じられた。
「次までに、忘れてたら承知しねぇぞ」
「肝に銘じておくわ」
握手終わった彼が屋上の扉に向かって軽く走り始めた。振り返る、手を挙げて、笑った。
「またな!」
その言葉と一緒に、彼の姿は風に溶けた。静まり返った屋上が朱色に塗り始められた。私は夕日を見ながら大きく伸びた。
「またね」