鏡の前で、向こう側の世界の自分と向き合った。睨みつけるように目を凝らして小刻みに揺れる右手を必死にぶれないように横に引く。その腕に合わせて上瞼の縁に黒に近い茶色のラインが引かれていく。そう、ぶれないように、ずれないように。
「何してるんだ?」
「っぎゃあ!」
集中しすぎて不意に声をかけられた瞬間に綺麗に引けていたラインが上方向にぶれる。その上油断してうっかり瞬きしようものなら瞼上に乾ききってないアイラインがうつる。私は予想以上の失敗の被害に愕然とした。
「うわああラインうつった!!これ真ん中に円書いたら瞼の上に目が完成するうう!!」
「俺のせいか!?すまん!」
失敗がショッキングで支離滅裂なことを言い出した私に、アイラインずれの元凶である松下五段が後ろから慌てて「それでも綺麗だぞ!」などとフォローを入れてくるが、うれしくない。
「あーもー修正しなきゃ……」
「本当にすまん……」
「いいよ直せるから!」
しょげている松下五段に苦笑しながら修正活動を開始すると、なんだか視線が気になって鏡でちらりと確認する。もちろんそこには先ほど私に声をかけた松下五段がいて、こちらを覗き込んで来ている訳だが。
「は、何故突然化粧を始めたんだ?」
今までしなかったろう、と彼が零した疑問に、私は鏡に視点をやったまま。しばらく沈黙がおちる中、私は黙々とアイラインを書く。
「……松下五段のせいだから」
右目のアイラインを引き終わって手であおいで生乾きのラインを乾かす。
「……俺?」
「そ」
右目のラインが乾いたことを確認して左に同じ行為を施す。処置しながら鏡で彼の様子を伺うと首を傾げて困り顔。左のラインも書き終わった私はくるりと椅子の上で回って彼を見る。
「松下五段に似合う、大人な女になりたいの」
向き合って、膝の上に両手を揃えた私は背筋を伸ばして言い放つ。完全に一種の告白だが、そんなことは私の気にする上ではない。私の言葉に松下五段は一瞬呆気にとられるが、その後すぐに微笑んだ。
「そうか、それは嬉しいな」
「……本気だからね」
軽く諭された気がして不満を露わに唇を尖らせた私に、彼はその大きな手を私の頭の上にやって優しく撫でる。
「、可愛いぞ」
「…………」
「可愛いでもいいじゃないか」
「……私が納得できない」
それでも心地いい頭を撫でる手がちょっと忌々しい。彼の隣に相応しい女になるという自分への誓いが妥協してしまいそうで。私がまだ不満げにしていると、彼は撫でていた手で今度はぽんぽんと優しく叩く。
「ならお前さんが納得できるまで、隣開けて待ってる」
「!」
「それでいいか?」
「いい!」
一気に周りがぱっと明るくなる私の浮上を察した彼は、そのまま私の手を引いて立ち上がらせる。
「なら今は休憩だ。昼飯を食べに行こう」
「はーい!」
そう言って歩き出した松下五段の後ろを付いて歩き始めて、また諭されたと気付いた私は悔しくもその背中を追うしか選択肢がなかった。