05 ここだから見える景色


(ラファ、ごはん)
「……

 チチチ、と小さく鳴いただけなのに、ラファは読んでいたマンガから顔を上げて、長テーブルの上にいる私の方を見た。朝、定例のご飯の時間。私が訴えるように鳴き声を上げて翼をはためかせたので、首についている赤い布も、翼に合わせてはためいた。マンガはとてもいいところなのか、ラファは一瞬ためらう素振りを見せてから……結局、私のご飯を準備するために立ち上がった。

「マイキーの提案、効果ありだったね」
「あったりまえじゃん!超名案って言ったでしょ!」
「そのドヤ顔、ぶん殴りてぇ」

 ラファがエサ箱を片手にマイキーの横を通過するものだから、威嚇された当人はとっさに顔の前に腕を交差して防御の構えをとった。しかし、彼の防御に拳がめり込むことはなく……エサ箱を長テーブルの上に置くと、私がエサに食いつくのを見届けてから彼はマンガの世界に戻っていった。

「……なにあれ。ラファどうしたの?」
「動物のセラピー効果じゃないの。Animal Assisted Therapy。ストレス軽減や精神面の強化の意味合いもあるらしいよ」
「そりゃいいな。ラファのすぐ手が出るところがで治るなら万々歳だ」

 いつの間にかリビングにはラファ以外の兄弟が全員集合して、感慨深い視線を彼に送っている。
 にこにこと、生暖かい視線がずっと注がれているのはさすがに気が散るのか、セラピー効果で落ち着いていたはずのラファの額に青筋が浮かんだ。

「だああ!こっち見るんじゃねえよ!!」

 その声を引き金に、兄弟たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

「うはっ!まだ完治には程遠いみたいだね!」
「あーあー、僕たちなにも見てないから」
「世話、よろしく頼むぞ。ラファ」

 マイキーはスケボー片手に音楽室へ、ドナはヘッドフォンをしてパソコンに向き合いマイワールドへ。そしてレオは、一番最後までラファに温かい視線を送り続けて鍛錬室へ消えていった。
 全員がいなくなると、ラファはしばらく肩で息をして、落ち着いた頃にどかりと床に座り込んだ。ソファに座っている時よりも幾分近いラファの顔を見上げる。彼はしばらくマンガを手に持っていたが、読むことに意欲がなくなったのか、私のいる長テーブルに頬杖をついた。

「……ったく、余計なことばっかり言いやがって」
(とかなんとか言っちゃって)

 このツンデレめ、なんて煽ろうとした瞬間。ラファの口から本気のトーンでため息が零れ落ちた。

「……本当は、わかってんだよ。このままじゃやべぇって」
(えっ……?)
「俺様も変わらないと……そうしなけきゃ、いつかあいつ等に置いて行かれる」

 私を見ながらひとりごとを呟くラファは、なんだかさみしそうでかわいそうで……真剣な様子に茶化せず、私は小さな歩幅で近づくと、投げ出された手に頭を摺り寄せた。

「あいつらはみんなすげぇよ。…それなのに、俺様はずっと立ち止まったままで…肩を並べて、兄弟だっていつまで言える…?」
(あいつらが、ラファをおいていくわけないじゃん)
「おいて行かれたら、惨めすぎてここにはいらんねぇよ。そうしたらきっと……」
(ああ泣くな、泣くなって)

 一瞬だけ、鼻をすするような音を境にラファはテーブルにうつ伏せた。
 出会った頃に怖いと感じた鋭い視線は見えなくて、どんな表情をしているのか心配になる。胸がぎゅうと音を立てたので、私はぴくりとも動かない手にもっと体を摺り寄せる。キュ、と今までにない声を上げて、何度も手に頭をこすりつける。

(泣くなって。そんなことないから)

 ああもう、こういう変なところは年相応なんだから。ぴくりとも動かない、反応もしないラファエロの手を、私はひたすら羽と摩擦で温め続けた。


   *  *  *


 どれくらい時間が経ったかわからない。数分だったのか、それとも数十分だったのか。
 私の頭がはげそうなくらい熱を持った頃、ラファはゆっくりと顔を上げた。それと同時に、額についてる黒いサングラスを装着して、多分こちらを見て口を思いっきり歪める。

「泣いてねぇぞ。寝てただけだ」
(私に言い訳してどうすんの)
「……黙ってろよ。……って、コイツがどうやって言うのだっつの」

 最近の俺様も大概だな。なんて一人ごちて、ラファは私の頭をポンポンと叩くと立ち上がってしまった。
 さっきまで近かった視線が、今はとてつもなく高く、遠い。それが何となく悔しくて下から見つめていたら、サングラスの隙間から少しだけ赤く染まった目が見えて、悔しい気持ちは一瞬で溶けた。

(正面から見てたら、きっと知らなかっただろうな)

 『同じ目線の高さになりたい』なんて、一瞬だけ沸き上がった願いは心の奥底にしまっておこう。今はこの高さで十分だ。隙だらけの誰かさんの泣きっ腫れた目が、グラサンの隙間から見えるこの位置が……多分、兄弟たちでも見ることの出来ない、私だけの景色だから。