12 懐かしい呼び声


「お前、左手のそれ……」

 シンとしずまりかえった路地裏に、困惑したラファの声だけが木霊していた。見慣れた大きな巨体に、お揃いの赤いぼろ布。突然の再会に、私は声を出せずにいた。

「……?」
「……!!」

 信じられない様子のラファがそう呟いた。私を呼ぶ声が、耳から入って脳を揺さぶる。呟いた本人も無意識だったのか、自分で驚いてからゆるく首を横に振った。

「……んなわきゃねえか」

 失っていた声が、彼の否定の言葉をきっかけにのどからせり上がってくる。ずっと地面に仰向けになっていた体を起こして、私は慌てて身を乗り出した。

「ラファ……っ!」
「っ!?……てめぇ、まさか本当に……」
「おい、アイツ等はどこに行った……?」

 不意に聞こえてきた第三者の声に、私とラファは咄嗟にそちらを見た。すぐそこで伸びている二人組の仲間なのか、訝しげな声がビルの壁を反響して徐々に大きくなっていく。発見される危険を察して、私は小さく息をのんだ。

「チッ……おい、来い!!」

 二回りほど大きな手が差し出される。戸惑いながら左手を持ち上げると、その手をさらうように奪われて引き寄せられた。さっき男たちに触れられたような不快感は一切ない。鳥だったとき、首筋を撫でられた時と同じ……荒っぽくも優しい手だ。
 筋肉質な片腕で私を抱えたラファは、その巨体からは想像もつかない高さまで飛び上がった。ビルの壁に走る配管を掴み、時に足をかけて踏み乗り、ビルの屋上へとたどり着く。陽の落ちかけた空色が頭上に、目の前には黄昏色に染まるマンハッタンの街並みが広がった。

(……久しぶりに見た、気がする)

 ここのところずっと地面を歩いていたせいだろう。いままで当たり前のようにあったはずの景色がやけに遠く感じられて、鳥だった頃が随分と昔のように思えてしまう。
 じっとその景色を見ていると、おい、と訝しげな声が耳に届く。ラファの目つきの悪い顔が、こちらに向けられていた。

「俺たちの拠点に行く。首掴まっとけ。落ちんぞ」
「う、うん」

 言われるまま彼の首に両手を回すと、肩口に顔が近づいて……そこから見える視界に、懐かしさを覚えた。そこは私が鳥だった頃にいつもいた場所。ラファの肩の上。彼の香りを感じながら、いつもそこで景色を見ていた。
 もう感じることのできないと諦めていたものが、突然私の手元に戻ってくる感覚。それが私の胸を締め付けて、じんわりと目元が熱くなった。こみ上げてきたものが、ほろりと目元から零れ落ちた。

「……?なに、これ」
「なに泣いてんだ、お前」
「……泣いてる?」
「泣いてんだろ」

 今まで知らなかった感覚に、私は首を傾げる。そんな私を一瞥したラファは、知らぬ顔でビルの屋上を蹴った。風切り音が激しい中、彼はぼそりと呟いた。私に聞こえない声量で、一言だけ。

「泣くくらいなら、さっさと帰ってこいっつーの」


   *  *  *


「……ラファ、お前」
「じょ、女子だ……!!」
「ラファが女子誘拐してきたーーーー!!」
「うるせぇぞマイキー!!」
「うえっ!僕だけ名指し!?」

 しばらくぶりの家に着くと、ラファが私を連れてきたことが原因で……大きな巨体が三つ、私とラファを囲み込んだ。以前は今よりもっと小さな姿で触れ合っていたはずなのに、違う視線で見ると三つの巨体はなんだかやけに威圧感がある。私は、ラファの後ろにおずおずと引っこんだ。

「……というか、なにその子?……人間?」
「羽が生えてる!ホンモノのエンジェルちゃん!?」
「バカ、背中以外にも生えてるだろ」
「どう見ても作り物には思えないな……それ、本当に生えてるの?地肌から??」

 ドナが瞳を何度も瞬かせ、しまいには額にかけていたゴーグルでこちらをのぞき込んだ。何かを解析しているのか、小さなゴーグルがモーター音を響かせる。こちらを観察することに夢中になったドナが、どんどんと私に近づいてきた。

(近い、近いって……)
「……おい、あんま脅かすんじゃねえよ」
「え?ああごめん」

 ラファが私とドナの間に腕を割り込ませて制止すると、ドナがやっと我に返って身を引いた。ほっと安堵の息をついた瞬間――

「あーっ!!」
「っ!?」

 今度はマイキーが私の左腕を指した。そこには、彼に巻いてもらったラファとお揃いの布がしっかりと巻き付いている。

「え?どうしたの、マイキー」
「……まさか」
「それ!えっ、うそっ!?マジで!?」

 不思議そうなドナに、驚きに目を見開くレオ。信じられないと繰り返して目を瞬かせるマイキー。そんな彼らを前にどう反応していいか困っていると、私の盾になっていたラファが半身引いてこちらを見る。そして、私の頭の上に大きな手をぽんと乗せた。

「……こいつは、だ」
「はぁっ!?」
「えええっ!?」
「ワオ!!やっぱり!」

 ざわつく兄弟たちを前に、ラファはいつもと変わらないようすで鼻を鳴らした。その瞳は、再会した時のような驚きもなければ戸惑いもない。私があの小鳥だと確信を持った、『当たり前』を告げるような堂々さに、肝心の私が徐々に不安になってきて彼を見上げた。

「ラファ、……私がだって、信じてくれるの?」
「あ?」
「だって、こんなミニマムサイズだったのに。突然こんな姿だし、嘘かもしれないでしょ?」
「うるせえよ。そりゃ最初はビビるに決まってんだろ。ビビらねぇやつなんているかよ」
(そりゃごもっともなんだけど……)

 ラファがあまりに以前と同じような反応をするから、さっきまであった妙な緊張感が今やすっかり四散して、私はあまりの現実感のなさに呆けてしまう。

(信じられない。こんな、信じてもらえるなんて。だってありえない)
、あんま俺のことを見くびんなよ」
「えっ……?あだっ!」

 彼の指が、私の額を小突いた。異議を申し立てようと彼を見ると、そこには勝ち誇ったような笑みを浮かんでいた。

「俺がてめぇのこと、見間違える訳ねぇだろうが」