19 夜空に輝く赤い星
重力以上の力に引かれて、私の体は傾いた。そのまま、屋上の外に向かって投げ出される。尾羽を引かれて後ろ向きに落下を始め、目の前には淀んだ空気で星が滲んだ懐かしの夜空が広がった。
(落ちる……っ!)
「ッ!!」
避雷針の横を通り過ぎると、ラファがこちらに手を伸ばしているのが見えた。避雷針に捕まっている方の肩に女性を乗せ、こちらに向けられたラファの手のひら。
私をたくさん撫でてくれた、硬いながらも優しい手が遠ざかっていく。
(……ああもう、デジャヴ)
一瞬、サックスタワーでの景色がだぶつく。二度も同じ奴……しかも人間の手で地面に引きずりおろされるなんて、私ってば鳥類のとんだ恥さらし。だけど後悔も反省もしていない。むしろざまあみろ、なんて誇らしげな気持ちだ。
下からの風に煽られた髪が空に立ち上り、激しい動きで私の視界を邪魔してくる。最後の景色くらい、きれいなものを見せて欲しいけれど、そう都合よくは行かないものだ。
私の体のどこから抜けた羽根が、上昇気流に舞って夜空へと旅立っていく。普通の鳥とは違う、大きくて鮮やかな羽根が星のように小さくなっていった。
(ミュータントになって、よかったなぁ)
もしあのまま小さな鳥だったら、ラファを撫でることもなければ、名前を呼ぶことも、そばに寄りそうことも、言葉を交わすことも、一緒に寝ることも、手をつなぐこともままならなかった。
――ただ、手を届くようになった矢先にこの仕打ちはあんまりだと神様に文句を言うことくらいは許して欲しい。
神様には文句を言うけど、ラファ達と出会ったあの日には感謝する。あの、今日と同じようなマンハッタンの霞んだ夜空には感謝しよう。もう十分いい夢は見せてもらったから。ただ、許されるなら……
(ラファに、さよならは言いたかった)
目尻からこぼれた『涙』が舞い上がる。
飛んでいったきらきら光るそれは、霞んだ夜空に浮かぶ星のように見えた。ぼんやりとそれを見送っていると、くすんだ夜空のキャンパスに、ぽつりと赤い光が見えた。もう見えなくなった涙の星の代わりとばかりに月明かりに照らされて燦然と輝くそれは、遠ざかるすべてに逆らうようにすごい勢いで徐々に大きくなって……
「二度も失くしてたまるかよ!!」
愛しい人の形をしたその光は、太い腕で私を抱え、地へ引きずりおろそうとした手を蹴りつけた。
一瞬、尾てい骨のあたりが痛んだが、そんな痛みは驚きにかき消され、私はのどの奥をひきつらせた。
「ラ、ファ……!?」
「黙ってろ!舌噛ンでもしらねえぞ!!」
言われて私は開きかけた口をぎゅっと閉じる。視界に広がる夜空に、赤い色がたなびいていた。その景色に現実味がなくて目を白黒させていると、抱きしめられる腕に力がこもった。
その力はやけに強く、でも壊さないように優しい、一番最初に感じたラファの手と同じで……私は思い出したかのように涙があふれて、舞い上がったそれは夜空に溶けていった。
* * *
――ズドン、という轟音と共に、地面にクレーターができる。
その中心には、私を抱えたラファが地面を踏みしめている。
髪の毛が重力に従い始めたおかげで視界が開けた私は、あわててラファの顔をのぞき込んだ。
「ラ、ラファ!大丈夫?足痛くない?骨折しなかった……?」
「…………」
目を伏せたまま黙り込むラファの頬に両手で触れると、その片方の手首掴まれる。まるで社交ダンスのように手を引かれ、私の眼前には綺麗なアンバーの瞳。肩を上下させているラファの深い息が、首もとに吹きかかった。
「てめぇは……」
「……あれ?あの時の女性は……?」
「今はンなことどうだっていいんだよ!!」
「っ!?」
あまりの気迫と怒声に、私の声はのどの奥に引っ込んだ。目をぎらぎらと光らせたラファは、眉間にしわを寄せる。
これは、確実に怒ってる……
「なんであんな無茶しやがった!!」
「か、体が勝手に……」
「あぁ!?それでアイツに突っ込んでいったってのか!?」
「そ、そうです……」
私を死に追いやったように、ラファのことを死に追いやりに行ったのだと……そう思うだけで頭に血が上ってしまった。尾羽を掴まれなければ、と言ってしまえばそうなのだが、現実掴まれてしまったのだからその言い訳は通用しない。引きずりおろされてバランスを崩し、ろくに受け身も取れない私は本当に鳥類の恥さらしだ。
「てめぇ、いい加減に……っ」
そこまで言いかけて、ラファは私が落ち込んでいることに気が付いたのか、小さく唸って声を飲み込んだ。引っ張られていた手首は解放されてるけれど、もう片方の手はいつまでも私を地面に下してくれない。
「……ラファ?」
「ふざけんな」
怒ってはいないけれど拗ねたような声音でぽつり。
「俺に二度も同じ失敗させんな。お前をまた取り落とすなんて、反吐が出る」
その声は明らかにラファ自身に向けられていて、心なしか私を抱える手は震えている気がした。
それでも私はそれに気づかないふりをして、ラファの胸に額を付ける。これ以上ラファ自身を責めさせずにすんだ、と同時に、私はまだ生きていてラファの腕の中にいるんだという二重の安心にまぶたを閉じる。
するとまぶたの裏に、ついさっき見たばかりのきらきらと輝く赤い恒星が瞬いていた。