(見つけた、マイヒーロー……)

 私は"彼"としばらく見つめ合っていた。メガネで少し大きく見える漆黒の瞳が、ただぼんやりとこちらを見ていた。そして、彼の頭がかくんと舟をこぐのと同時に、交わっていた視線が不意に離れる。
 そうして、私はやっと我に返った。

(うわ、本当に?でも、特徴に当てはまるし、すごくタイムリーだし……)
「眺めたい気持ちはわかるが、仕事をしてくれないか?」

 誇らしげに顔を歪める彼の声に、その場の全員が肩を震わせる。私たちは全員が手袋をして、彼の指示をじっと待った。

「ヤツらの血液を採取しろ。その血液の中には特別なものが含まれているからな」
(なんだ、血液くらいだったら……)
「死んでも構わん。全て抜き取れ」

 彼の言葉に、目を見張る。辺りの同僚が目を見合わせてて「こんな人外の相手から採取できるのか?」「そもそもこれはなんなんだ?」といった意味合いの意志疎通を通わせている中、私だけが手に汗を握っていた。

(全部抜いたら、さすがにこの人たちも死んじゃうんじゃ)

 いや、死んでも構わないと言った。つまり彼らも血液を抜いてしまうと死んでしまうということだ。
 どくん、と胸が音を立てた。フット軍団から母を助けた恩人を、殺してしまう。口の中が急速に乾いていく気がして、つばを飲み込む回数が増える。

「さぁ、始めたまえ!」

 サックスの言葉を皮切りに、同僚たちが戸惑いながら作業を始める。機器をチェックして、検体につなぎ、血液を採取。私は心の中に戸惑いを抱えたまま、機器のチェックを始めた。

(血を抜いたら、死ぬ……けど、ここで逆らったら、どうなるか……)

 チェックの合間にちらりと部屋に視線を送ると、怪しい覆面の私兵警備たちが壁伝いに並んでいる。ヒーローたちに気を取られていたが、彼らの手には物騒なものが握られていて……私は今日何度目かのつばを飲み込んだ。

(助けて、どうする?何か手は?私一人が殺されてただ終わりなんじゃ?でも、恩人を見殺しになんて……)

 ヒーローに助けてもらった!と誇らしげに笑う母の顔がよぎった。救ってくれたのは、きっと彼らだ。それならば、彼らに恩を返すべきなんじゃないだろうか。何か手は無いのか、何か、何か……。
 いつもなら検証に使っている頭をフルに回転させて、必死に考え……私は、空のガラスケースに気が付いた。

(……ガラスケースが、4つ。……4人いるってこと?)

 ケースにおさまっているのは3人。もしかしたら予備として作られたのかもしれないが、こんな人以外の存在のための特殊なケースが簡単に用意できるものなのだろうか?もしあと一人を想定するなら、もしかして助けに来るのではないだろうか。彼らが、困った人々を助けてくれる、ヒーローならば。
 明確な理屈はない、証拠もない、根拠も曖昧。理系としてあるまじき想定だが、動けない私にはそれくらいしかできない気がした。

(……衰弱を遅らせて、もう一人に祈るしかない)

 覚悟を決めると、私は機器をチェックするフリをして、血をろ過するフィルターを増やした。さらに、機器に設定されている採取スピードをそっと遅くして、彼らに投入する麻酔を薄めて、ビタミンを投入する。
 幸い、サックスもその私兵警備もヒーローたちの方に夢中だったため、私は同僚の目を盗むだけで簡単にその仕事を終えることができた。同僚を欺く行為に多少の後ろめたさ、そしていつばれるかわからない緊張感に、指先の震えは止まらない。

(早く、早く、早く……誰か……!)
「――ニューヨークに毒ガスを巻くのさ」

 サックスの言葉に、私も含めた同僚たちが動きを止めた。

「私の会社が解毒薬を作り……神としてこの街に降臨する」
(何を、言っているんだろう。この人は……)
『ーーッ!!』

 部屋が静まり返る中、ガラスケースの中から、青ハチマキのヒーローが拘束具を抜け出そうと激しく暴れた。サックスの言葉に激情している彼を見て、私の考えは確信に変わる。

(彼らがヒーローで、サックスたちは……)

 サックスをぼんやりと見ていると、その向こう側にある瞳がこちらに向いているのに気が付く。
 紫ハチマキのヒーローが、真っ直ぐに私を見ていた。さっきの様に視線を外すことなく、じっと、確信を持ったように真っ直ぐと。彼は、小さく首を傾げたように見えた。それは私に尋ねているようにも見える。

『――きみ、何かした?』

 そんな風に聞かれたような気になったけれど、確信を持てず、私はただぼんやりと彼を見返すことしかできなかった。

「……それにしても随分と、遅いな」

 サックスの呟きに、心臓が飛び出るのではないかと思うほど体が強張る。
 訝しげな瞳が私たちに向けられて、全員がピンと背筋を伸ばす。

「たかが血液の搾取に、どれだけかかっている!」
「も、申し訳ありません。正常に稼働しているのですが……」
「チッ、機器を再チェックしろ!さっきと配置を変えて、再確認だ!」

 技師のリーダーが裏返った声で「はいっ!」と答えた。エリック・サックスも元は研究者だ。血液採取の時間も、トラブル時の確認方法も心得ている。だから今、違う担当の人に再チェックなんてされたら……

「リ、リーダー。採取速度が遅く設定されています……」
「こちらも、ろ過のフィルターが通常の3倍に……」
「何……!?」

 報告を聞いて、サックスは訝しげに目を細めた。無感情な目で、首を傾げる。

「……担当者は誰だ?」
「機器の情報設定がヒルダ、機器のチェックがです」
「ふむ。情報設定は目を盗めばいくらでも上書きが可能だ」

 無感情な声がこちらを向く。

「さて、どちらかな?一人の仕業か、共犯か」

 死刑宣告が迫っている中、サックスの向こう側……ケースとメガネ越しの瞳が、心配そうにこちらを見ていた。