「ねぇ、起きてる?立てる?」
「…………ん」
そう促されて、口は開けずにただ頷いた。まだ足元はふらついているけれど、支えてもらえれば立てるまでになっている。あれだけの猛毒に侵された私に、一体なにをしたのだろうか。
外の光が見えると、ひやりとした冷気が肌を撫でて、見覚えのある景色が広がった。サックス邸の裏口、この建物に入ってきた時に通った場所だ。支えられたままくすんだ空を眺めていると、駆け寄る足音が聞こえてきて、私はそちらに視線を移した。
「ドナテロ!その人は……?」
「ここでサックスの手伝いをしてた人。でも僕たちのことを助けてくれた」
「随分とぐったりしてるが、大丈夫なのか?」
「うん。ハッキングしたデータから、簡単な解毒剤を作ったから。多少は症状が和らぐはず」
ドナテロ。それがマイヒーローの名前。頭の中で何回もリピートしていると、私を支えていたドナテロはそっと駆け寄ってきた女性に私を預ける。馴染みのある人間の柔らかな肌が私に触れた。
「おいドナ!こっち手伝え!」
「わかってる!ってうわぁ!銃じゃないか!」
彼をぼんやりと見送ると、そんな私の顔を美女が覗き込んできた。見覚えのある端正な顔、毎日家を出る前のバラエティーで見かける彼女は、エイプリル・オニールだった。そして彼女の隣りに、見知らぬ男性が一人。
「アナタ、大丈夫?動けるの?」
「……な……んとか」
「おいおい、全然大丈夫じゃなさそうだな」
私に肩を貸しながら歩みを進めるけれど、とてもじゃないがこんな緊急事態で歩く速度じゃない。周りのヒーローたちは、防弾がどうだ跳弾がどうだの言いながら、覆面の男たちと戦っていた。
「おい、お前!トラックの運転はできるか!?」
「えっ!た、多分な!」
赤いハチマキのヒーローが、私たちの前に立ちはだかる。男性が頷くと、体格のいい彼はエイプリルから私を取り上げて俵の様にひょいと担いだ。そして茫然としているエイプリルたちに、一喝。
「あのトラックを使うぞ!運転しろ!!」
「わ、わかった!」
威圧された男性は弾かれるように運転席へ。エイプリルもそれに続いて、助手席へと身を滑らせた。
私を担いだ赤ハチマキの彼は、近くの覆面を体当たりでなぎ倒してトラックの荷台へと身をひるがえす。荷台の中には、すでにドナテロと、青いハチマキの彼が待機している。
「ちょっとラファエロ、彼女を乱暴に扱わないでよ!重病人なんだけど!」
「緊急事態だ!あとでいくらでも労わってやるっつったろ!」
「今重症なんだよ今労わるべきだろ!」
「ドナ、ラファ!喧嘩してる場合か!」
青いハチマキの彼が仲裁に入ったところで、車が大きく揺れだす。予想外の揺れに、私も巻き込んで3つの巨体が壁へと押し付けられ、開きっぱなしの扉から見える景色が大きく動き出した。
「いいなぁ、三人とも。僕も女の子と一緒にぎゅってなりたかったなぁ」
「マイキー!!」
「それで、ここからニューヨーク市は?」
「あのヘリだと19分、最短ルートはこのまま下って近くの下水道を通るのが早い」
「マイキー!前に伝えてきてくれ!」
「りょうかーい!」
景色が恐ろしいスピードで通り過ぎていく中、黒い軍用車が何台か追いかけてくるのが見えた。そして、そこから人が乗り出すのが見えたと同時に、トラックの中へと銃弾が飛び込んでくる。とっさにトラックの奥へと引き込まれ、ドナテロが噂の防弾甲羅で私を射線上から遠ざけてくれた。
「まだ安全とは言えないから、ここにしがみついていて。力が入りにくいと思うけど、手を離さないように」
「う、ん」
「よかった、大分話せるようになってきてる。家に戻ったら、もっとちゃんとした解毒薬を作るから」
私が荷台の奥にあるネットにしっかりとしがみついたのを見てから、ドナテロは緊張気味だった表情を崩してふんわりと笑った。それが私を安心させるための表情だと感じ取れて、不覚にも一瞬胸がしめつけられる。
次の瞬間には、まるでそれを遮るように車体が大きく振り回され、青いハチマキの彼がトラックから投げ出されてしまった。
「レオナルド!!」
「レオ!!」
ドナテロの声とラファエロの声が同時に響き、二人は現状をどうするか話し始めた。直後すぐさまドナテロがトラックを飛び出し、しばらくすると黄色いハチマキをした影が鳥の様に、軍用車へと飛んでいく。
その間にもトラックは上下にも左右にも大きく揺れて、その激しさに私はだんだんと周りを見る余裕がなくなってしまっていた。
(ここから投げ出されたら、死ぬ……!)
それだけの思いで必死にしがみついていると、いつの間にやらラファエロの影もなく。荷台に置いてあったドラム缶すらなくなって、今や荷台には私しか残されていなかった。どれだけの間、どれだけの揺れを耐えてしがみついていたかわからなくなった頃……
「おーい!あ、名前聞くの忘れてた!きみーーーっ!」
未だに揺れ続ける荷台の中で、必死に開け放たれた扉の方を見やる。がたがたと揺れる視界に、紫色の影が甲羅で雪上を器用に滑っているのが見えた。
「飛び降りて!そこから!」
「え……」
「そのトラックはもう危ない、飛び降りて!!」
景色が通り過ぎていく速さは尋常じゃないほど速い。その中を飛び込んで行けというのか。生身で、まだ動きもおぼつかない状態で。
頭の中でそう意義を申し立てていると、雪上を滑りつづけているドナテロが両手を大きく広げた。
「大丈夫!絶対、僕が受け止めるから!!」
雪山に響く、彼の声。荷台の中にもそれは反響して、不思議とついさっきまであった恐怖が取り払われて、今ならばなんだってできる気がしてくる。
そう思った瞬間、まるでその行動が自然の摂理かのように、必死にしがみついていた手からは力が抜け、私の体が荷台の壁とお別れをする。力の入りきらない足を動かして、揺れる床を何度も蹴り飛ばし――
真っ白い景色の中、私の体は宙を舞った。