ふわりと体が宙へ浮くと、視界が白へ染まる。
ずっと暗い荷台の隅に引っこんでいたせいなのか、目の奥がちかちかと白からいろんな色へと変化して、最後は視界のど真ん中に不自然なまでのたなびく紫が見えた。
その紫を中心に、くすんだ黄緑、茶色、ごちゃごちゃした黒や赤が広がって、その色は最後に大きな人型の亀へと変化。宙に浮いていた私の体は、そのまま紫の上へと降り注いだ。
「おっと!ナイスジャンプ」
私を両腕でしっかりと抱えたドナテロは、相変わらず器用に甲羅で雪を滑る。
なぜか一人項垂れている黄色ハチマキくんの横を通り過ぎ、崖寸前のところで足と棒をつっかえて急ブレーキ。甲羅の雪上スキーの終着点へとたどり着いた。
「ふー、危ないところだった。大丈夫?きみ……」
彼はそこまで言いかけて息を呑んだ。雪の上、仰向けになっているドナテロの上、首に腕を絡めてぴったり上に乗っている私。彼は黄緑色の頬を微かに紅潮させて、顔を背けた。
(そういえば、こんな近くで見るのは初めてかもしれない)
特殊ガラスの中に繋がれている時は遠かったし、横抱きで運ばれた時は体の自由が利かず、彼の顔を見上げるほど首を動かすことができていなかった。
まじまじと近くで見ると、ますます人間でないことがよくわかる。にじむような黄緑の肌、ざらついて少し硬い皮膚。ただ、どうしてだろうか。命を助けられたせいなのか、それとも本気で心配してくれたせいなのだろうか、彼を怖いとは思わなかった。ちらりとこちらを盗み見た漆黒の瞳と、目が合う。
「あ、あの。そんなに見られると困るんだけど……」
「あ……」
かろうじて動くようになった口から、小さく言葉が漏れた。彼は顔を背けたまま私のわき腹を持ち、恐る恐る自分の上から遠ざける。私を下したドナテロは、器用に反動をつけて起き上がると、すぐさま私の手を取って立ち上がらせてくれた。まだ、体は微かに痺れている。
「ええと、今更だけど……きみ、名前は?」
「……、……す」
「あ、無理に話さなくていいよ。きみ、死にかけてたし、あの解毒剤もその場しのぎだから、まだ身体とか喉とか痺れてるでしょ?」
頷くと、だよね。と苦笑が返ってきた。そんな申し訳なさそうな表情をしなくてもいいのに。貴方のおかげで私は生きているんですから、マイヒーロー。そんなフォローもできない、回らない口がなんだか恨めしい。
「ええと……。悪いけど、まだもう少し付き合って欲しいんだ」
「……?」
「追っ手のフット軍団は撒いたけど、まだ本命が残っててね。急いでニューヨークへ向かわなくちゃいけないんだ。……シュレッダーを止めないと、ニューヨーク中の人たちが危ない」
山の向こう、ニューヨークを見つめるドナテロの目は覚悟が決まっている目だ。ぼんやりとその横顔を見ていると、胸の奥深くが脈を打ったような気がしてくる。不思議だ。
(かっこいいなぁ)
「……あっ!」
ドナテロの声に肩が跳ねる。崖の下を覗き込んだ彼は、眉間にしわを寄せた。
「みんな!すぐそこ、さっき言ってた下水管だよ!!」
「いいから、まずは助けてくれ…!!」
青いハチマキ――レオナルドと呼ばれた人物の苦しそうな声が、切実に雪山に響き渡っていた。
* * *
下水道を、4人の亀のヒーローと3人の人間が滑る。とはいえ、人の身で下水管をすいすい滑ることはできないので、必然的にヒーローたちに運んでもらわなくてはならない。
そうするとどうなるかというと――
「その…甲羅の外に、て、手は出さないでね。」
「……うん」
猛スピードで下水を走っていると、金属と甲羅が滑る摩擦音、水飛沫の音、それから黄色ハチマキの彼――ミケランジェロというのだと、ドナテロが教えてくれた――の心底楽しそうな叫び声しか聞こえないのである。そうすると、会話をする相手は必然的にドナテロだけになり、さらには彼にしっかりとしがみつくために首に手を回した密着状態で話さなければならない。
そうすると、不思議と鼓動が速い状態になってしまう。とても不思議なことに。
「そういえば、ひとつ言い損ねていたことがあったよ」
「……なに?」
多少しゃべれるようになった私が聞き返すのを確認して、ドナテロは表情を和らげた。
「僕たちを助けてくれて、ありがとう。」
あまりに優しい声だったので、私は一瞬息を忘れた。そして、間をおいて今更そういわれるのが恥ずかしくなってくる。ただ、母の恩返しのつもりでやったのに、そんな純粋な笑顔を向けられたら……
(恩とかそういうの、忘れそうになる)
「……あれ?きみだよね?採血の時に細工してくれたの」
「……わかってたの?」
「うん。血を全部抜けって言われてるのに、いつまでたっても全然貧血の感じしなかったし。それにきみ、すごく挙動不審だったから」
「えっ!」
聞かれて悪い話でもないのに、どきりとする。まさかそんなに見られているとは思わないだろう、普通。私の反応を見て、わかりやすいねとドナテロは笑いをこらえていた。
「他の二人は気付いてないみたいだから、後でちゃんときみのありがたさを説いておくつもり」
「そんな。別に……」
「駄目だ、絶対教える。だってきみは命までかけてくれたんだから」
喜ぶヒーローの笑みに、私の方まで嬉しくなる。どう反応していいか戸惑っていると……
「もうすぐ着くぞ!出口だ!」
先頭を切って滑っていたレオナルドの声が下水管に響き、私とドナテロは顔を見合わせる。
足元方向にある出口が徐々に近づいていくのを見て、私は彼の首に回していた腕に力を込めた。