「出口だ!」

 レオナルドのひと言に顔を上げる。下水管の出口が段々と大きくなり、それを勢いよく通り過ぎる。人を一人抱えているというのに、ドナテロの着地はそれは見事なもので、流れるような動作で着地と同時に地面へと降ろされた。
 一瞬、久しぶりの重力にふらりとよろめいたが、それを想定していたのかすぐさま三本の指がフォローに入る。私は心配をかけまいと懸命に地面を踏みしめた。

「シュレッダーは屋上だ、エレベーターを使おう」
「君たちは早く避難を。ここは危険だ」

 私たちに訴えかける言葉に、エイプリルはすぐさま首を横に振った。

「いいえ、私たちはサックスを追うわ。万が一のために、ミュータジェンを取り戻す」
「それじゃあ、もし取り返したらスプリンター先生にそれを頼む。ミュータジェンが効くはずだ」
「ありがとよ、俺たちのこと信じてくれて」

 ラファエロの言葉に、エイプリルは答えず、ただにこりと笑顔を返した。そこには不思議と信頼関係のようなものを感じて、少しだけ羨ましく思えた。

「サックスの研究所は32階。セキュリティは僕が解除しておいた。えーっと、その、頑張ってね」
「ええ、貴方たちもね」

 エイプリルに向けられていたドナテロの視線が、不意に私の方に向く。

、君はここから避難して。今、君の端末に地図を送っておいたから」
(……携帯番号教えてないのに、いつの間に)
「その場所についたら、僕たちの師匠のスプリンター先生……えっと、亀なくてネズミなんだけど。その人がいるから。今は動けないと思うけど」

 自分の携帯に視線を落とすと、一通のメール受信を知らせるコール。彼の言う通り、とある場所の地図が示されていた。どこだかわからず首を傾げいていると、ドナテロの後ろから、レオナルドがひょいと顔を出す。

「君は体が衰弱している。間違っても、エイプリルたちと一緒に行かないように」
「足手まといになるからな」
「おい、そんな言い方ないだろ!」

 ぶっきらぼうなラファエロの声の後に、どつくような鈍い音が聞こえて、私はドナテロと顔を見合わせて苦笑した。

「……がんばって」

 まだ体中が痺れる中、胸の中の言葉を端的に伝えようとして……結局、その一言に落ち着いた。

「ああ、もちろん」

 私の言葉に、ドナテロは一瞬驚いた表情を浮かべて目を瞬かせ、快活そうな満面の笑みを浮かべる。そうして、無理しちゃだめだよ、と私の肩を軽く叩いた彼は、仲間たちと一緒に建物の角に消えていった。

「さ、私たちも行きましょう。ヴァーン」
「ああ。もてる女は大変だな」
「……気を付けて」

 歩き出したエイプリルたちに声をかけると、返事の代わりに少し緊張した笑みが返ってくる。つい先ほどラファエロとしていたようなやり取りを再現され……本当に少しの時間しか共にしていないというのに、不思議と仲間になったような錯覚に陥った私は、誇らしげな気持ちで歩き出した。


   *  *  *


「ここが……」

 ドナテロに指定された場所は、薄暗くも設備の整った地下空間だった。ところどころ瓦礫が山積みになっているが、そこには机も椅子も、パソコンすら置いてあって、妙な生活感を感じることができた。つまるところ、ここが彼らのホームなのだろう。

「うっ……」
「……?」

 静まり返ったホールに、微かなうめき声。声の方向へ進むと、長方形の台の上に人影があった。

(……この人が、ネズミの"スプリンター先生"?)

 確かに、路地裏で見かけるネズミが大きくなった異形の姿。すでに亀の異形――とはいえ、私にとってはヒーローなのだが――を見ていたせいだろうか。驚きというものはあまりなく、ただ、触れることへの微かな抵抗があるだけだった。

(そういえば、"ミュータジェン"っていうのが効くって……もしかして、病気?怪我?)

 サックスが言っていた『血液の中にある特殊な物質』というものがその『ミュータジェン』なのだと、安易に想像がついた。それをこの人に投入するとなると……血液に含まれるのだから個体ではなく液体である可能性が高い。となると動脈投入。

(血液、輸血……)

 ふらふらと辺りを探し回り、必要そうな機材を探し出すと、手当たり次第の医療器具の準備を済ませる。私がここでできる事と言えば、これしかない。彼らが戻ってきた時、もしくはエイプリルがやってきた時、いち早くこの人に"ミュータジェン"を与えるための準備。

「これで……最後……」

 全ての準備を終えた時、私は疲れ果てて、スプリンター先生が横たわっている台に背を預けて座り込んだ。両膝を立ててそこに額をつけると、どっと疲れが押し寄せてきて……視界が徐々にブラックアウトしていく。

(今日は、とんでもない日だ……)

 亀のヒーローと出会い、彼らを助けるために毒ガスを受け、助けられて雪上スキー。次に下水管スキー。さらにはネズミの先生。これらが一日、数時間のうちに起きたなんて信じがたい。密度の濃すぎる時間に、考えるだけで頭痛がしそうだ。
 暗くなっていく意識に、逆らうだけの力はない。そのまま、妙な浮遊感に身を任せると……視界の最後に見えたのは、やけに鮮やかな紫色だった。