定期検診は、大体30分もかからないで終わる。

「手足のしびれは?」
「もうほとんどないよ。先週と変わらなく普通」
「肺が痛いのはどう?」
「それも最近はほとんど。過激に運動すると痛いけど、元々運動不足だから何が原因だか」
「そう……じゃあ、脈測るね」

 ドナテロに問診されて、脈拍や呼吸、体温を調べ、最後に点滴をする。私が毒を吸わされた時、それにはどんな成分が入ってきて、ドナテロがどんな方法で対処したのか……一度訪ねてみたけれど、明らかに専門知識外だったため、最終的には理解をあきらめた。
 かというドナテロも、医学系は彼の本分ではなかったらしく……あの時、サックスの研究所から得た情報を再現し、臨時で私に投与しただけだという。以来、彼は私の健診と治療のため、医療の分野に少しだけ手を伸ばした、らしい。

(さらっとやっちゃうのがすごいんだよなぁ……)

 得ようと思った知識をすぐものにしてしまうのは、ドナテロの知識欲のせいなのだろうか。それとも、ティーンエイジャー特有の吸収の良さなのか。どちらにせよ私のせいで彼は興味外のことを学ばねばならず、そして彼らの兄弟曰く、私のおかげでドナテロがさらに有能になって助かった(一部からは、有能すぎて困るとの声もあった)らしい。

「……はい、これで終わり。とりあえずまた3日後に健診に来てね」
「うん、わかった」

 器具をあれこれしまうドナテロを眺めながら、この光景が当たり前になってきたと思う。『見慣れた光景』……そう呼べるくらい、何度も健診を受けている。

「毒、すごく強いものだったんだね」
「えっ?」
「すごい長く体に残ってるから。こんなのがニューヨークに撒かれたことを思うと怖いくらい」
「そ、そうだね。なにせあのサックスが考案したくらいだから……」
(……?)

 妙に挙動不審なドナテロに、私は自然と眉間にしわが寄る。そんな私の視線から逃れようとしたのか、彼は机の上にあるマグカップに手を伸ばし、誤魔化すようにそれを傾けた。ふう、と小さく息をついて、カップを机に戻す。

「あれ?ブラックコーヒー?」

 ドナテロのマグカップに入っていたのは、なみなみと注がれた黒い液体。それは私の見慣れた柔らかいモカ色の液体ではなく、牛乳を注ぐ前の苦いコーヒー。彼は甘党だと聞いていた私は、それを見て目を瞬かせた。

「ドナ、甘党だと思ってたからてっきり……」
「そっ!そんなこと、ないよ。甘いものが好きだから、飲み物は苦いくらいがちょうどいい……みたいな」
「確かに、そうやって甘いものとコーヒーを一緒に飲む人はいるよね。そっか、コーヒーはブラック派なんだ。私は、砂糖とミルクがないと無理だよ」

 大人だなぁ、と呟くと……さっきまで慌てていたドナテロの表情はぱっと明るくなり、動きが少しだけ機敏になる。こころなしか声が弾んでいる気がするが、それを口に出す前に遮られる。

「いいんじゃないかな。女性は甘いもの好きだろ?」
「え?うん」
「別腹、なんて言葉があるくらいだから、女性に甘いものは切っても切れない関係にあるといってもいい。だから君は標準だよ」
「そ、そう…?」

 やけに流暢な語り口になったドナテロを眺めていると、部屋にノックの音が響き渡る。
 軽い足取りのドナテロが扉を開けると、扉の前の相手に対してピンと背筋を伸ばした。その反応だけで、誰が訪れたのかはすぐ分かった。

、今時間はあるかな?」
「スプリンター……せんせい」
「やめてくれ、君の先生ではないからな。気軽にスプリンターと呼んでくれていい」
「ええと、はい。善処します」
「先生、彼女は……」
「わかっている、ドナテロ。すこし彼女を借りるぞ」
「……はい」

 スプリンターに手招きをされ、私はその後に続いてドナテロの部屋から出た。


   *  *  *


 日本で使われるという『畳』にはほとんど縁がない。だから、私がどう座るべきか決めかねていると、スプリンターに「好きにしなさい。君の楽なように」と言われたので、その言葉の通りに座りやすいように遠慮なく腰を下ろした。

「息子たちから話は聞いている。息子たちを助けてくれたのだと」
「……以前に私の母が彼らに助けられていますから」
「それもすでに聞いている。だが、命をかけるにはあまりに無茶だ。君の母上が聞いたら悲しむだろう」
「……はい」

 あの時は、確かに無茶な真似をしたなと自分でも思う。スプリンターの言う通り、あの場でドナテロに助けられなければ私はあの場で死に、母をこの上なく悲しませていたのだと……今思うととんでもないことしていた自覚はある。

「ですが、私はあの時彼らを助けたことを後悔していません」

 あの時、こちらを見ていたガラスレンズの向こう側にある漆黒の瞳が、永遠に閉じてしまったら。それを考えるのはひどく恐ろしいことだ。三本の指で熱を測られた過去も、彼のはにかむ笑顔が見られる今も、すべてが霧散してなかったことになっていたのだから。
 ――なぜだか、それは母を失うのと同じくらい怖いものに思えた。

「いや、すまない。君を責めるつもりで呼んだわけではない」

 俯き加減の私を見て、スプリンターは先ほどより優しい声色で目を細めた。

「むしろ、息子たちを助けてくれて、感謝している。シュレッダーという己よりも強い敵を相手に、あれほどまでに戦えたのは……あの時、息子らの衰弱を防いだ、君のおかげでもあるのだから」

 それはなんだか極端な気がして、すこしだけ照れくさい。ただ全否定するのも気が引けて、私はゆるく首を横に振った。

「それに……ドナテロは、大層君のことを気に入っているようだな」
「ドナが……?」
「ああ。見ての通り、他人との交流は多くない子だ」
(それは、まぁ見ればわかるけど……)
「だから、もし毒が抜けきっても、どうか彼と仲良くしてやってほしい」

 ずきり、と胸の奥が傷んだ。

(毒が、抜けきったら……)

 言われて初めて、私と彼をつなぐ糸が、細くて今にも切れそうなことに気が付いた。
 『定期健診』が『必要なくなったら』。そうしたら、彼と会う口実がなくなってしまう。いや、スプリンターに認められた今、理由がなくてもここに通ってくることはできるのだろう。私は彼と会い続けたい。けれど、もし彼がそれを望んでいなかったら?

(……この毒、一生抜けなければいいのに)

 ドナテロの笑顔が浮かんで、消える。
 私は無意識に、服の裾を小さく握り込んでいた。