10 見知った吐息の子守歌
「おい、脱出の方法を考えるぞ。立て」
相手の人影がかろうじて見えるくらいの闇の中。野田と思わしき人影から提案が飛んでくる。
確かに、私としても早くここを出てしまいたい。「うん」と返して立ち上がろうとし――ぐわんと頭が重いことに気付く。立ちくらみがまだ治りきっていないのか、このまま立ち上がったら倒れてしまいそうだと本能的に悟る。
「ごめん野田。ちょっと手、貸して」
「何故だ」
「さっき立ちくらみがして、また残ってるっぽい」
「……仕方のないやつだな」
私の言葉に、多分野田であろう人影は素直に手を差し伸べてくれる。
その手を掴んで立ち上がろうと、足に力をいれると――途中で膝から力が抜けた。
「ちょっ!」
「ぬわっ!?」
二人してマヌケな声が出て、私は崩れ落ちるときに彼を引っ張ってしまった。
私は床に後頭部をぶつけ、引っ張られた野田は私を潰さないようにと床に手をついて踏みとどまる。
「くっ、なんなんだ貴様は!」
「あはは、ごめんごめん」
苦笑しながら声のする方を見上げると、懐かしくて、もう二度と思い出したくない情景が脳裏をよぎった。
私を押し倒す『誰か』。輪郭しか見えない野田の影を見ていると、無意識に全身が震えてくる。
人影からは野田の声がするのに、私の網膜は、その人影に別の人間を投影してしまう。
「……おい、?」
私に覆い被さった男。眉を寄せ、怒りに顔をゆがめ、拳を振り上げる男。
「ご、ごめんなさい、ごめん、なさい…!!」
過去の私が"あの男"に。今の私が、"あの男"なんかに姿を重ねてしまった野田に謝る。
「何を、言っている」
「ごめん、ごめんもうしない!もうしない!!」
「何がだ……?」
最初に思い出した生前の記憶をきっかけに、芋づる式に私の中から恐怖が這い出てくる。
鮮明に、より鮮明にそれは蘇って、網膜で像を描いて。今の野田の姿が見えなくなった。
「もう抵抗しないから、殴らないで!ごめんなさい!!」
「何を言っている、!」
私に覆い被さっていたのは、もう"あの男"だった。
般若のような顔で怒り、青筋浮かべて、私を殴る。泣いて謝ると、私を張り倒して、いやらしく嗤う。
「大人しくする、するから!!ごめんなさい、父さん!」
「ッ!!」
聞き覚えのある声。それに視界ががくんと大きく揺さぶられて、瞬きする。
たった1回の瞬きの向こう側には野田がいた。いつもの気難しそうな、けれど眉間に皺を寄せた顔だ。
暗闇で私に姿を見せるためか、いつもよりずっとずっと近い距離に顔がある。
「正気に戻ったか。俺は誰だ?」
「……野、田」
「ああ、そうだ」
数秒経って、私は自分が錯乱していた事を自覚する。
「うわ。何いまの、恥ずかしい……」
「生前の記憶か」
「それもまぁ見たけど。そっちじゃなくて、錯乱した自分に死にたい気持ちになってる」
この世界では死なないけど。一瞬流行っては過ぎ去った死後の世界ジョークではなく、本当に。
羞恥心と、申し訳なさ。情けない気持ちがごちゃ混ぜになって、私は顔を手で覆い隠す。
「ごめん、変なとこ見せて」
「構わん」
彼はそう言うと、私の肩の後ろに手を差し入れて、2人いっぺんに体を起こす。
2人で座りながら向かい合う形になると――。
「また錯乱されても面倒だ」
そう言って彼は右腕で私の頭を抱えると、自分の肩に私の頭を押し付けた。
顔の半分が野田の肩に埋まるが――息苦しいどころか、すごく落ち着いていることに気付く。
「このまま肩を貸してやる。……落ち着いたら出るぞ」
「……うん」
妙な安心感に、くたりと少し力を抜ける。
そうなると当然、私を肩に寄りかからせている野田に負荷がかかるのだけど。
彼はまったく揺らぐことなく、しっかりと私を支えてくれた。