11 静寂と正論と
――からん。
そんな軽い音だった。
ステージ上のスポットライトの真ん中にはたった一つのアコスティックギターが横たわっている。
体育館の静けさはまるで世界が終わったごとくの静けさで、誰一人も動けずにステージを見ていた。
(――消えた)
私は『天使エリア侵入作戦』での要、陽動班であるガルデモのライブ会場が配置だった。
NPCに手出しできない私達が対応するのは天使だけ。そう油断している先に、岩沢さんが消えた。
「……」
その様子を体育館入り口で見ていた天使は、身を翻して静寂の世界から去る。
放心していた私は、脳の片隅にぽつりと置いてある指令『天使を追わなくては』に従ってふらふらと彼女についていく。
「――待って!」
校庭で天使に追いついた私は、気づけばそう声をかけていた。
嫌に静まり返った体育館を出たはずなのに、夜特有の静けさにまた襲ってきて。酷く頭が混乱している。
「――何?」
「岩沢さんに、何、したの?」
「……何も」
「じゃあ、どうして……!」
私達は皆、生前に苦しんで、心に何かを抱えて戦っていた。
だから岩沢さんが消えた理由が分かっている反面――分かりたくなかったのかもしれない。
天使はそんな私の混乱を知ってか知らずか、相変わらずな淡白さで小さな口を開いた。
「分かったから。満足したから。納得したから」
「………」
「そんな言葉で、言えばいいのかしら……」
私の欲しくて、聞きたくなかった言葉をたくさん落として、天使は寮へと歩いていった。
暗い校庭の砂に、背後の食堂からの光によって出来た私自身の影がゆらゆらと揺れる。
「成仏、か……」
生前の未練がなくなること。
先日の降下作戦の時に取り乱した記憶がじわりと頭の奥で浮かんできた。
『――ごめんな』
私の生前の記憶は、始まりも終わりも謝罪の言葉だった気がする。
始まりに浮かんできたのは父の顔だった。悲しそうに眉をハの字に歪め、泣いていた。
『父さん、母さんと仲良くできなくて』
『うん……』
幼い私なりに、父と母の不仲は感じ取っていた。
だから、離婚に関しては確かにショックだったけど、取り乱しはしなかった。
そうして父は私の両肩に手を乗せて、私をまっすぐに見つめた。
『父さんについてくると、これからすごく貧乏で辛い。それでも、いいのか?』
『……うん』
後から知った話だが、うちの両親は私の親権を互いに押しつけ合っていたらしい。
そして父が言っていたあの言葉も、『貧乏はイヤ』と私が嘆いて、母の方に行きたがるように仕向けていたらしい。
ただ、私は父も母も大好きだったのでワガママを言うつもりは無かった。そのせいで、私を押し付ける父の作戦はここで失敗に終わる。
『父さん、大丈夫?』
中学3年の時。私はうなだれる父の様子が心配で、声をかけた。
父が母と結婚したのは、職場の上司の紹介だった。そのせいで、母と離婚した父は上司のメンツをつぶしたことになり――事実上、退職を余儀なくされて転職。
最初はまっとうに。しかし年齢のせいで縁を作れずにいた父は日雇いの仕事で食いつなぐようになり。転職活動と日雇いと、現場の理不尽な怒りに堪える日々。母が払う予定だった私の養育費も最初の数カ月を後に入金が途絶え、金銭的にもひっ迫するばかり。
――その積み上げが、私の些細な声かけをきっかけに爆発した。
『はぁッ!?大丈夫に見えるのか!?』
『……!!』
『そう見えるならお前は本当におめでたいやつだよッ!!ええッ!?』
父の突然の豹変に、私は動けなくなった。
ストレスがあるのは分かっていたが、そんな苛立ちを真っ正面からぶつけられたらのは初めてだったからだ。
『お前も穀潰しばっかしてないで役にたってみたらどうだ!』
『ご、ごめんなさい!でも、中学生の私なんかどこもバイトさせてもらえなくて……!』
『言い訳ばっかりするなッ!』
そう言って、父は握った拳で私を殴り倒した。
拳で殴られたのは初めてで、余りの衝撃に世界が揺れた。視界はチカチカして、世界はぐるぐる回って。現実かどうかわからなくて愕然とする。
『お前のせいで!お前なんかがいるから!!役にたたないな!』
床に倒れた私の上に父は馬乗りになり、グーだったりパーだったり、感情のままに私をぶつ。
『ごめんなさい』以外に言える言葉がなかった。だって、『いる』ことを理由にされたら、私には謝ることかその場で死ぬことしかできない。
そうして何度もぶった手を止めた父は、息を荒くしながら私を見下ろした。
『金を稼げないなら、それ以外で役に立てよ』
『ど、どうやって……?』
私の首元に父の手が伸びて、首でも絞められるのかと覚悟した。
けどそれは違って。父は、私の制服のボタンに触れた。
驚きでフリーズする私のボタンを、ひとつひとつ外していく。何をされるかは――考えるまでもなかった。
『い、やだ……』
父の役に立つと言えど、それは女の子として譲れない。
かつ相手が父だからこそ越えられない一線だった。
『いやだぁぁああぁああ!』
例え、叫んだこの言葉で父を逆上させようと。私は喉の奥から声を絞って叫んだ。