部屋の片隅、みんなが乱雑に脱ぎ散らかした服の山の中に私は隠れ、リビングの様子を見守っていた。出来るだけ息をせず、決して悟られることなく。気配を殺し、静かにただその時を待つ。
そこへ一人の男が入ってくる。大きくてガタイのいい、爪楊枝を加えた亀……ラファエロだ。彼はリビングに入ってくるなり、テーブルの上に置いてあるラップに包まれたおにぎりと一杯のコーラに目をやった。添えるように置いたメモには『修練お疲れ様!作ったから食べてね。##name_2##』と書いてある。彼はその紙とにらめっこした後に、皿の裏からラップを取り外し、おにぎりを口にしようとして――勝ち誇ったように笑った。
「……なんて、ひっかかるか!」
彼の声が反響した後、リビングは再びしんと静まり返った。あの亀はアホなんじゃないだろうか。脳筋であることには違いないが、もしや今の一言で、私が「うわー!見破られた―!」なんて言って出てくると思ったんだろうか。だとしたら、思考回路がマイキーレベルである。しかも正解ならともかく、不正解なら答える義理はない。
「…ちっ」
反響する自分の声に虚しくなったのか、ラファは小さく舌打ちをしてからコーラを傾けた。やはり多少の疑いはあるのだろう、おにぎりを口にする様子はなかった。しかしそれこそが私の狙いであり、裏の裏の裏をかいた誘導なのである。
すぐさま、その異変は現れた。
「ぐっ」
ラファが顔を歪めて喉を押さえた。想像もつかない混沌(わさびとハバネロ、タバスコその他エトセトラ)の、焼けるような喉の痛みと戦っているのだろう。そして何とか口の中にある分だけでも飲み干すと、それはもう盛大に咳き込み始める。
身をかがめたラファを見て、私は成功を確信し、勢いよく立ち上がった。被っていたなけなしのみんなの服が宙を舞う。
「ひっかかったな!ラファエロ」
「……やっぱ、てめえか……げほっ、ごほっ」
「そう、おにぎりに入っていると思わせて飲み物に入っていると思わせておにぎりに入ってない、これぞ裏の裏の裏をかいた作戦!」
「……そりゃ、ただの二分の一だろうが……げほっ、げほっ!」
「と思わせてコーラに入っているのではなくコップの内側に塗りつけてあるんだよ」
「そんな細かいところまで知るかよ!!」
ラファは眉間に深く深く皺を入れた。やっと勝ち越したついた勝利に、私は大きく振りかぶってガッツポーズを決めた。
暇を持て余した私とラファの間で始まった勝負。私がいたずらを仕掛けては彼が見破り、彼がいたずらを仕掛けては私がひっかかりのくだらない勝負を始めてからはや半年。お互い子供だましから始まり、妙にこった仕掛けになり、最終的にまた子供だましに戻って、負けて買っての繰り返し。しかし……
「66戦34勝32敗で、ついに私の勝ち!!」
「……チッ、勝手にしろ」
悔しがってそう呟くラファを、私はものすごい勢いで振り返った。そんな私を見て、彼は何事かと目を見開いたが、そんな彼の驚きもお構いなし。私は彼の目の前までずかずかと近づいて悪戯っぽく笑った。
「報奨が欲しいです」
「……は?」
「勝者にご褒美は、勝負の鉄板でしょ!」
「……何が欲しいのか知らねえが、勝手にしろよ」
拒否権はねえんだろとごちるラファに、私は彼の肩から下がっているベルトをぐいと引っ張った。
「おい、」
何だよ、とラファが零そうとしたのを遮る。言葉の続きは言わせない。そうして彼の唇を即座に塞ぐ。なにで塞いだかは言うまでもない。塞ぐというのはなんだかロマンがないかもしれないから、彼の唇を奪ったと表現したほうがいいかもしれない。
一瞬だが、私はそれだけでもう極上にハッピーな気持ちになった。
「ごちそうさまでした」
「ばっ……てめ……っ!!」
ハバネロのように真っ赤になった彼の顔は、果たしてさっきの辛さの混沌のせいか。それとも別の何かか。
「ラファ真っ赤」
「…………」
「ラファ?」
「……っ!」
彼は数秒すねたように黙り込むと、一拍おいてから、離れていた距離を一瞬で埋める。さっき見た景色……ラファのアップが再び目の前に広がった。
でも、それは本当に一瞬だった。私が触れた時よりも短く、触れるだけ。私を強引に引き寄せた彼は、顔を明後日に背けながら私をつっぱねる。
「……ラファは負けたじゃん」
「女にやられっぱなしでいられるかよ」
背けた顔は、まだハバネロが回っているらしくそれらしい色に染まっている。……ということにしておいて、あげよう。悔しいけど、私の方もすこしだけ顔が熱くなっている気がするから。
「っていうか辛っ!!」
「へっ、馬鹿が!自業自得だ!!」