ガイズたちの玄関ともいえる、下水道の質素な鉄扉をゆっくりと開けた。木の扉とは違う重みを持ったその扉を開けると蝶番が一際大きく音を立てるが、私は扉を持ち上げながらゆっくりと開くことでその課題をクリアする。目的地へのルートを頭の中で確認しながら、中をそっと覗き込んでリビングを見回す。敵機なし。私はすぐさま扉の内側に身を滑らせると、駆け出した。足音の対策は万全で、事前に靴を脱いでいた私はその上でさらに足音を殺して家の中を走る。
「あーっ!」
廊下に響く驚愕の声に、私は体をびくりと震わせた。腕の中に抱えていた布袋を持ち直し、辺りを確認するが……声の主は見えなかった。すると、廊下の奥からたて続けにマイキーの悲鳴とも取れる切実な声が聞こえてくる。
「ラファ、また僕のオレンジソーダ勝手に飲んだ!」
「ばーか、置いてあったから飲んだんだよ」
「わざわざ隠しておいたのに!」
「あんなの隠したうちにはいるか。もっと分かりにくいところに隠せよ」
「隠したよ!ゲームで言ったら範囲度ハード以上のところに隠したんだよ!それなのに見つけるとか、ラファ絶対探してるだろ!わざとだろ!!」
「じゃあお前の隠しどころが悪いってこった」
ぎゃいぎゃいと関係ない喧嘩の声に、私は胸をなでおろした。今の私は、全身を黒い布で覆っているため、マイキーやラファと出会っても不審者だといって悲鳴を上げられかねない。そうすると、必然的に最も警戒している人物にも侵入がばれてしまうため……私は、今まで以上に気を使って、廊下を走り出した。
目的地はすぐそこ。残り距離を、頭の中でカウントダウンしながら近づき、扉のドアノブをしっかりとつかんだ。扉を全力で開け、すぐさま体をすべり込ませてその扉を閉める。慌てて扉を閉めため、体を覆っていた黒づくめの布端が扉に挟まった。
「うわあっ!?誰っ!?なに……!?」
布端を引っこ抜いている間に、部屋の中にいたドナテロが私という侵入者に気付き、悲鳴を上げた。
全身黒づくめだと、さすがの彼も私のことを認識できないらしく……私はフード状になっていた頭部分の布だけ取り払った。
「ドナ、私だよ。私」
「えっ?な、なんだか……驚かせないでよ」
ここは目的地、ドナテロの私室。誰にも気づかれず、ドナテロの元へたどり着く侵入ミッションは大成功。妙に誇らしげな気持ちで、黒い布を脱ぎ捨てて、適当に床に放った。
「にしても、今の黒い布はなに?完全な不審者だったよ」
「侵入ミッションをするときは、それ相応の服が必要なんだよ」
「それ、つまりただの雰囲気じゃないか」
「そうともいう」
誇らしげに胸を張った私に、ドナは小さく息をついた。
部屋に来客したのが私だとわかるやいなや、彼は椅子をくるりと半回転してモニターへと体を戻してしまう。いつもより気だるげで冴えない表情が、モニターに照らされる。
「……まだやってるの?脱砂糖」
「……そう。これなんだと思う?砂糖なしのホットミルクだよ」
「うわぁ……」
いつものドナテロなら、ホットミルクにしても砂糖を何倍も入れてめちゃくちゃ甘くする。もはや牛乳に砂糖を入れたものではなく、砂糖に牛乳ちょっと加えた?というレベルにまで甘くするのだから、まったく甘くないホットミルクというのは彼にとって水のようなものだろう。味がしないという意味で。
「朝もカップケーキじゃなくてバターのトーストにミルクだし、基本的にレオが家に甘いものを置かなくなったから糖分補給が全然できなくて、作業もはかどらないし……ああもう最悪だよ。それもこれもレオが砂糖を減らすなんて言うから……」
ぶつぶつと独り言を始めてしまったドナに、私は苦笑した。
それというのも、カップケーキの上に乗っている砂糖だけ舐めて戻していたというドナの告白が皆に知れ渡り、それを皮切りにドナのシュガージャンキー伝説の数々が露呈してしまったからだ。ドナの体調を心配したレオの愛の鞭で、現在ガイズの家では脱砂糖計画が進んでいた。この家に、砂糖を彷彿とさせる甘いお菓子があらかた消えてなくなったのである。
(レオも、心配してるだけなんだけどなぁ……)
しかしいかんせん、彼の愛の鞭は極端だ。私が「たまには」と思って甘いものを差し入れようものなら、ドナの部屋に行く間に見つかって取り上げられる。そんなやり取りを何度もしているせいか、レオは私を見かける度に「甘いものはもってないだろうな?」とあいさつのように声をかけられる始末。
……今回の不審者ルックの侵入ミッションは、そういった事情が背景にあった。
「する?糖分補給」
「……えっ?」
モニターに向かっていたドナの体が、すぐさま私の方を向いた。腕の中に抱えていた布袋から、私はあるお菓子を取り出した。白くて丸い……俗にいう饅頭というものだった。
「……なに、これ」
「日本のお菓子だよ」
ドナは、手渡した饅頭を両手で掲げてはいろんな角度から覗き込む。しかし饅頭はどこから見ても饅頭。眉間にしわを寄せて、額に載せていたレンズを降ろしてスキャンしてもわからなかったのか、彼はただ首を傾げるだけだった。
「これ本当に甘いの?中身は?」
「中身は茹でた小豆に砂糖を入れた、餡子ってものが入ってる」
「外側は……小麦粉?成分は……」
「いいから食べてみなよ!毒は入ってないから!」
私の押しに、ドナは小さく呻いてからしぶしぶ饅頭をかじる。何度か咀嚼して、ぱちりと目を丸くした。ぱちぱち、と何度目かの瞬きで表情が輝き始める。
「これ、美味しい……!」
「でしょ。和菓子っていうんだよ」
へぇと感嘆の声を漏らしたドナは、残りの饅頭を口の中に放り込んで味わう。冴えない瞳には光が、表情には笑みが灯って私は誇らしげに胸を張った。
「どう!もっと感謝してもいいよ!」
「うん、ありがとう!最高だよ、和菓子」
「そうでしょうそうでしょう!」
そこでドナははたと何かに気が付く。
「……というか、これ見つかったらきみもレオに怒られるけどいいの?」
さっきの満ち足りた表情からは打って変わって、ドナは心配そうに眉間にしわを寄せた。
「……いいのいいの。だって、好きなものをなくしたって簡単に変われるわけないでしょ?」
「まぁ、そうだけど……」
「和菓子なら糖分も控えめだし、食べる量をちゃんと制限すればいいって、そもそもレオに相談するつもりだったし。甘いもの食べなくてしょんぼりしてるドナを見てるのはかわいそうだから」
「……」
ドナは前かがみになって、私の頭に額を付ける。
「レオに直談判してくれるのはいいけど、やりすぎて出禁にならないでよ」
「えー、でも……」
唇を尖らせた私の両頬が、すこしごつごつしたドナの手で包まれた。
「あのね、そうやって甘やかしてくれるがこれなくなる方が問題なんだよ。だってきみに会えなくなる方が、砂糖を食べられなくなるより辛いんだから」