深夜、人の声が一切しない静かな場所を駆け抜ける。ざざと木々の葉擦れの音がして、そのたびに私はびくりと肩を震わせた。たかが葉音くらいでと思うだろう。私もそう思う。だが、それでも脅えずにいられない理由がある。
 ――そう、ここは墓地のど真ん中なのだ。

(あーあーあー、お化けなんていないお化けなんて……)

 しかも、そこを通らなければいけない私は大のホラー嫌いだというのだから、運命は残酷だ。
 あこがれのマンハッタンに住めるというから心を躍らせていたら、まさかの都心部から離れた辺境の地。『一応』マンハッタン?なくらいの位置だ。しかも、そこから都心に出るには、ほぼ山道に等しい一般道を長々と進まなければならない。そんなことをしては、仕事に遅れてしまうじゃないか!そして、必死に近道を探した結果、たどりついたのが……

(うう、墓地をつっきるなんて罰当たりな……)

 都心部への近道が、広大な墓地を横切ることなんて、罰当たりすぎてそのうち天罰が下るに違いない。だが、私にも生活がある。食べていくため、仕事をするためには、ぎりぎりまで寝ていたいのだ。
 睡眠欲を取った結果が墓地横断なのだから、これは確実に罰が当たるだろう。覚悟はしているものの、お化けからの天罰だけは勘弁いただきたい。

(しかも、ここ土葬だし……)

 ゾンビという選択肢もある。天罰にそんなバリエーションはいらないのだが、場所が場所なので可能性としては否定できないのが悔しいところ。

 ――ガサッ

「ひいっ!!」

 茂みが揺れ、体を大きくのけぞらせた。朝ならば陽の光に照らされて安易にその方向が確認できただろう。だが、残念ながら今は暗闇が満ち溢れている深夜だ。自分の懐中電灯だけを頼りにしなければならず、私の周りは死角だらけ。
 がくがくと震える腕で必死にその方向を照らすと、懐中電灯に照らされて、瞳孔の開いた猫の目がこちらを見ていた。

「な、なんだ猫か……」

 ほっと胸をなで下ろした、瞬間――
 同じ茂みから、それはそれは大きな影が飛び出してきた。

「ぎゃあああああ!!」
「っ!?」

 影は亀のような甲羅の模様がついていて、こちらに勢いよく迫ってくる。私の悲鳴に驚いたのか、声にならない声が聞こえた。迫ってきていた甲羅は、その下から伸びている二本の足を地につけて、踏みとどまった。辺りに土煙がたちこめる。

「ラファ、俺の甲羅を蹴るなってあれだけ……!」
「ひぃっ!」

 足の生えた甲羅が言葉を発して、私は悲鳴を飲み込みきれずに情けない声を出した。その声に反応して、私の目の前で踏みとどまったその影が、くるりとこちらを向いた。
 ……二本足で立つ、青いハチマキをした亀。恐ろしさに私は腰を抜かし、ぺたりと地面に座り込む。

「あー……えーっと、お嬢ちゃん?悪いな、驚かせて」
「お、お化けだああああ!」
「そ、そうなんだ!!」
「……へっ?」

 慌てた様子の亀のお化けが開き直って同意してきたものだから、予想外過ぎて悲鳴と驚きがひっこんだ。

「俺は、お化けなんだ!だから、透けてしまってきみには触れないし、危害も加えられない。そうだろう?なぁ、安心してくれ」

 もしやこのお化けは、必死に私をなだめようとしているのだろうか。自分より慌てている人物を見ると冷静になれるというのは、どうやら本当だったようだ。

「……それはどちらかというと、ゴーストなんじゃ……」
「あっ」

 お化けの中には、化け物……モンスターと呼ばれる意味合いも含まれるのだが、彼の中のお化けはゴーストと相場が決まっているらしい。しかしながら、彼には足があるし、さっきしっかりと地面を踏みしめ、その上土埃までたっていたのを私はしっかりと見ていた。
 私のつっこみに、彼は「ええと、あーっと」と言い訳の続きを考えている。マンハッタンのお化けは、なんてかわいらしいんだ。

「えーっと、とにかくだな……俺はきみに危害は加えない」
「……はい」
「ちなみに、お嬢ちゃん。家は?」
「こ、この向こうにあるボロアパート……」
「なら、そんなに遠くはないな。気をつけて帰れよ。……そして、今日見たことは忘れてくれ」

 自分をゴーストと自称して、驚かせた相手の帰宅の心配をするお化けをどう忘れればいいんだ。私が言葉を失っている間に、彼はそれじゃあと告げてくるりときびすを返す。その瞬間、私はあることに気がついた。

「ま、待って……!」
「ん?」

 律儀にも振り返ってくれたお化けさん。
 考えれば、どうしてそんな言葉が出てきたのかわからない。ただ、私よりも慌てて、帰宅の心配をしてくれたお化けさんが、先日見たジャパニーズホラーの呪怨まみれの幽霊よりずっとずっと優しかったから、一瞬心を許してしまったのだ。

「こ、腰が抜けて立てないんです……」

 私のヘルプ信号に、お化けさんはぷっと吹き出して笑った。その顔があまりにもさわやかなものだったので、その笑いと一緒に私の恐怖も一緒に吹っ飛んでいた。

「……送ろうか、お嬢さん」

自称:お化け

(名前を、レオナルドと言うそうだ)