私は気付かれないように、視界に彼を入れて観察していた。表情に浮かんでしまいそうなにやにやを何とか抑えこんで、何事もなくただ微笑んでいるように見せる。その実、私の周りでどう声をかけていいのか決めかねている彼の挙動を微笑ましく感じていた。
「あの、……」
「おい、この間言ってた雑誌読み終わったぞ」
「ありがとう、ラファ」
「……」
「、聞いてよ!この間さぁ!!」
蚊の鳴くような小さな声が、思い立ったラファの声と、後ろから抱きついてきたマイキーの大声によってかき消される。ラファから渡された雑誌を受け取り、その後に抱き付いているマイキーを振り返った。
「どうしたの?何かあった?」
「それが、ラファが超ウケるんだよ!」
「あ?てめぇ、何の話を……」
面白さの興奮を忘れぬうちにとマシンガントークでまくし立てるマイキーの声に押されて、私に声をかけ損ねた彼――ドナテロはその身を小さく縮み込ませて、くいと眼鏡をブリッジをあげた。まるでなにも用なんかありませんでしたけど、と言いたげに怪しい挙動でその場をすっと離れる。
(めっちゃへこんでる……すごい落ち込んでる……)
「?、ちょっと聞いてた?僕の盛大なオチ、ちゃんと聞いてた?」
「あぁごめん、聞いてなかった。それと、ラファが面白かった話なら、オチをつけたのラファでしょ」
「うるせえよ!!」
「話のオチをうまくついたのは僕のトークスキルだから!」
ああそう、そうかもね。と曖昧な返事を返して、自室に消えていこうとしているドナの背中を見つめた。ただでさえ彼の兄弟たちの中でも細身で、角張っていない細肩が、落胆でますます丸く見えて……あまりの可愛さに私は顔を緩んでいくのを止められなかった。
「ちょっと、僕をドナいじりのダシにしないでくれない?こんなナイスガイをダシにするなんていい度胸してるよね」
「え?ダシになんてしてないよ。ドナが途中で諦めちゃうから」
「うお、笑顔で言うか」
呆れた表情がラファとマイキーの顔に浮かぶ。俺じゃなくて僕じゃなくてよかった、なんてつぶやきが聞こえてきたが、あえて聞かなかったことにしてあげよう。
「ドナはタイミングが悪いの。いっつも誰かと話しているときに限ってやってきて、私が心底暇な時に限ってラボに篭もってるんだから」
「うーん、タイミングが悪いのは否定しないけどね。そういう星の下に生まれたんだって言ってた」
「誰が?」
「レオが」
(意外と辛辣なこと言うなぁ……)
生真面目なレオナルドにそこまで言わしめるとは、兄弟内でも今までよほど間が悪かったのだろう。
――ときに、私のここ最近の趣味は、ドナテロいじりだ。
視界の隅っこであわあわと慌てながら、私にどう声をかけようか決めかねているドナをみるのがたまらなく可愛い。と、ほかの三人に告げると「とんだサディスト」という称号をつけられたから個人的には非常に不名誉だ。私個人としてはただ落ち込む可愛い姿を愛でているにすぎない。
(それにしても、ちょっとフォローが足りないかな……?)
心の中でちょっと反省して、私はあくる日、ドナのラボの扉をノックした。
「ドナ、入ってもいい?」
扉の外からノックをすると、ああうんいいよと生返事が聞こえてくる。これは訪問してきた相手を認識できてないなと思いながら、ゆっくりと扉を開ける。案の定、こちらを振り返りもしないドナが、ラボの真ん中で必死に何かを作り上げていた。
「なーにしてんの」
「音波の拡張機。音量を大きくするんじゃなくて、ほら、あれだよ。骨振動とかああいう。ああいう音が伝わりやすくなるあの現象を使って、本質的に声を相手に伝える用にするための物を作ってるんだよ」
近づいて声をかけても、こちらを見向きもしない。こういうときのドナは、なにをしてもだいたい無駄だ。聞いたことを答えるだけの機械のようなものだった。
(……今なら、なんでも聞けるかも)
天恵のように頭の中にアイディアが降ってくる。レオの口調を思い出しながら、さながらレオのようにドナに話しかけた。ちなみに説明すると、別に声は作っていない。
「なんでそんなものを作ってるんだ?」
「……僕、声張り上げるの苦手なんだよ。声をかけようにも、マイキーが相手になると気づかれる気がしないし、だからといってマイキーより大きな声を出すとか無理だし。それなら声を上げなくても相手に伝わればいいんじゃないかなって」
「ふーん。それはに声をかけるためか?」
「だっ!誰もそんなこと言ってないだろ!これはほら、いざってときに雑踏に声が紛れて消えないように……」
「なんだよ。言い訳せずに素直になれよ」
「もう、なんでつっかかってくるんだよ!今日はちょっとしつこいぞ、レオ……」
案の定私のことをレオだと思いこんでいたドナが、勢いよくこちらを振り返った。途端、目を見開いて動きを止める。にやにやと笑みを浮かべていた私を見て、彼は言葉を失った。
「素直になれよぉ」
にっこりと笑みを浮かべて復唱すると、ドナの顔はさっと桜色に染まる。彼は、私と手元を何度か見比べたのち、手元にあった機械を背に隠した。
「うわああっ!、い、いつから……!」
「最初から。残念ながらこの部屋にレオはずっといませんでした」
「ホ、ホ、ホントに……」
頭の中で大混乱が起こっているのだろう、目を白黒させたドナがもごもごと口の中に言い訳を飲み込んだのを見ながら――私は、彼の両頬をそっと両手で包み込んだ。
「ごめんね、ドナ。ここ最近意地悪しすぎちゃった」
「……へ?」
「その機械、なくても聞こえてるよ」
「そ、そうなの……?」
「うん」
彼の額にあるゴーグルを少し上げて、こつりと額に額を付けた。怒るかと思いきや、ドナは安堵の表情を浮かべるだけで、そうだったんだと一言零した。
「本当はね、聞こえてるの。だから大丈夫」
「……まぁ、僕のタイミングが悪いのは昔からだからね。聞こえてるなら、それ以外のことはもう諦めるよ」
(自覚あったんだ……)
「でも、もうわざとスルーするのはやめてよね。僕も頑張って声張るから」
彼は少し不服そうにそう言いながら、細められたアンバーの瞳でこちらを見た。私が小さくうなずくと、彼は両手で私の腰を引き寄せて抱きしめる。
寂しかったんだから。彼の零した一言といじけたような表情に、背筋がぞくりと粟立つのを感じだ。ああもう、そろそろサディストだと自分のことを認めるべきなのかもしれない。そう思いながらも、私は彼に向けた「声は張らなくていいよ」という言葉を飲み込んだ。
(ドナの声なら、吐息だって聞き逃したことない……でも、それは言わないでおこう)
きっと明日からは、声を張って私を呼ぶ、必死な彼の姿が見られるはずだから。