画面の向こうが空高く昇っている太陽を映し出した。虹色に輝く光の円が画面を横切る。爽やかな青い空をたっぷりと映したカメラは、地面に向かって緩やかにその視界を下げた。
そこには、鏡のように光を反射する水滴を乗せた、紫陽花が景色いっぱいに広がっていた。
「はぁ……いいなぁ」
地べたに座り、ローテーブルに頬杖をついていた私は、テレビを眺めながら呟いた。背中に位置するソファーに腰をかけていたラファが、読んでいたマンガから顔を上げる。
「……あ?」
「紫陽花。この時期、綺麗だよね……」
雨の次の日、葉と花の上にたっぷりと虹色の水滴がたまり、まるでそれが花びらであるかのようにキラキラと光りだす。さぞかし綺麗な景色なんだろう。感動的なシーンなんだろう。想像はしてみるものの……
「引きこもりのお前にゃ、縁のない話だな」
「本当にそれな」
振り返り、ラファに向かって人差し指を向けた。
外に出るのは億劫で、自分の足で歩くのは面倒くさい。こんなものぐさが綺麗な景色をみたいだなんて、おかしすぎてへそできっとお茶が沸くだろう。本当に見たいと望むなら、ちゃんとそれに見合った対価がいるのだ。たとえば、その場所へ行くための交通費や、行くことそのものへの労力とか。
「お前が花を愛でるなんて、こりゃあ明日は雪だな」
「ば、バカにしないでよ!私だって花くらい……」
「ん?」
「花くらい……」
テレビ画面とラファエロを見比べて、歯を食いしばっていると……すっと、目の前にショートケーキを差し出された。頭の中で、水濡れの紫陽花とショートケーキが天秤にかかり。あっさりとショートケーキに軍配が上がる。紫陽花、完敗。私はラファからケーキを受け取って、テレビ画面そっちのけでそれを食べ始めた。
「花がなんだって?」
「くっ……卑怯ものめ」
「食いながら言われてもまるで説得力がねぇな」
「うるさいうるさい!花くらい愛でたっていいじゃない!私だって女なんだからな!」
意義を申し立てるために、ソファーを両手で大げさに叩いた。ばすんばすんと音を立てて、かすかなほこりが舞い上がる。
「……んなこた、知ってるんだよ」
「へっ?今、なんて言った?」
ラファの言葉を聞き逃して、私は手を止めて彼の顔を凝視した。もう一回言ってとリクエストをするものの、そのお願いに対する彼の反応ときたら、なんとも冷たいものだった。
「うるせぇ、ケーキでも食ってろ。引きこもり」
「ひどい!」
* * *
「おい、」
いつもの定位置。ローテーブルにひじをつきながらテレビを見ていると、ラファが私の後ろに立っていた。上半身を捻って彼を見上げると、その表情は不自然にひきつっていた、いつも以上に迫力のある目がこちらを見下ろしている。何事かと妙に身構えてしまい、私の顔もひきつった。
「な、なに……?」
「なんだ、その……あれだ」
「なんだ」
珍しく言いよどむ彼に、私は首を傾げた。
片手を後ろに隠し、あちらこちらに目を泳がせている姿が不自然で……でも、肝心の彼の顔はとてもまじめなものだったので、私は茶化すのをやめてじっと次の言葉を待つ。
目を泳がせていた彼は、意を決して後ろに隠していたものを差し出した。その瞬間、私より高い位置に差し出されたなにかから、冷たい雫が顔に降り注いだ。
「わぶっ!な、なに……?」
顔に降り注いだものを慌てて拭うと、差し出されたそれが視界の中心できらりと輝いた。
「……紫陽花?」
先日の液晶の向こう側で見た、虹色の雫を乗せた花。差し出されたそれには、まるでついさっきまで雨に降られていたかのようにたっぷりと水滴が乗っており、地下の照明をきらきらと反射させている。
「…………わお」
「……んだその反応。見たかったんだろーが」
「いや、今のは紫陽花にじゃなくて……」
きみの行動になんだけど。なんて言おうと思ったものの、それを言ったら目の前の彼はきっと背を向けてしまう。私は、言いたかった言葉を飲み込んで、目の前に差し出されていた花に手を伸ばした。
それを受け取ると、持ち手が変わったせいだろう、紫陽花の上で虹色の雫がゆらりと揺れる。その虹色は、私の見たかった景色そのものだった。
私に目的のものを手渡した彼は、どっかりとその場にあぐらをかく。同じくらいの高さになった視線で、じっと見つめると……彼は頬を微かに紅潮させて、訝しげに目を細めた。
「どういう風の吹き回し?」
「……たまたま見かけただけ」
たまたま。都心真っ只中のマンハッタンで。しかも、わざわざ雨に降られたばかりの紫陽花が、たまたまそこに生えていた。それをわざわざ、人に見られるかもしれない危険を冒して一本手折ってきた。たまたま見かけたから。
あまりに言い訳らしい彼の言葉に、私は噴き出して笑った。大げさに笑う私の額を、「うるせえ、笑うな」と彼の指に小突かれる。いやいや笑わずにはいられない。笑わなかったら、花を贈られるなんて照れくさい現状で、余裕ぶれなくなってしまうから。ひとしきり笑った私に、ラファは照れ臭さを誤魔化すために吐き捨てた。
「……引きこもりにゃ、そんなもんで十分だろ」