「……マスター、もういっぱい!」
「お嬢さん。飲み過ぎですよ……」
「いいの!のまずにいられるかってんだよ!あのクソ上司!」
マスターに空ジョッキを差し出して、バンバンと雑な動作でバーカウンターを叩いた。
花の金曜日。その日、行きつけのバーには大勢の社会人が平日の疲れを癒すために訪れていて、大層賑やかだった。かという私もそのうちの一人で、バーカウンターでマスター相手に愚痴(とはいえ、聞き流されているからほとんど独り言だ)を零す。
「うう、言ってることをころころ変えやがって……」
ひとりごちる私に、マスターは困った笑みを浮かべて新しい飲み物を出してくれる。ぐいっと一気にそのジョッキを仰ぐと、その中身はアイスティー。お酒をだせって言ってるのに、勝手な気を回してノンアルコールを差し出してくるなんて。なんてマスターなんだ。
「マスター好き!結婚して!」
「ありがとうございます。光栄ですね」
「そんな爽やかなスルーも好き……」
他のお客さんの元に向かったマスターの背を見送って、バーカウンターに額を打ちつけた。机に伏した視界が一気に暗くなり、アルコールが回ったのか心地良くて眠くなってくる。今夜はもう、酔っぱらいを理由にマスターにお世話してもらおうか。あわよくば家に持ち帰ってくれないだろうか。
「お嬢ちゃん。なぁ、一人?」
「……んん?」
まぶたが半分下りている視界に、ぼんやりと男の人影が入り込んでくる。いつの間にか、私の左右に見知らぬ男たちが座っていた。眠いせいではっきりしない人影の口元だけが三日月に歪んだ。
「俺たちと遊ばない?」
「ああん……?あそばねーよチャラ男どもがッ!!わたしはこれからマスターにおもちかえりされるんだよ!どっかいけ!!」
「うはっ!すげー酒入ってるなぁ」
ふんと鼻を鳴らし、テンションのままに怒鳴りちらして、マスターの心遣いであるアイスティーの残りを一気に飲み干した。男たちは私の拒絶を気にした風もなく、左右でにやにやと笑みを浮かべている。
「…………あれ?」
男たちの口元が、ぐにゃりと歪む。今までにない酔い方に、私は片手で額を押さえる。頭は揺れていないのに、視界と意識はぐにゃぐにゃとあり得ない歪み方をする。
(なに、これ……)
視界が曲がって歪んで、捻れ続けて、視界が絵の具をぐちゃまぜにしたような色になる。全部の色が混ざって、溶けて――
(へんな、酔い方……)
――目の前のすべてが、最後には真っ黒になった。
* * *
「へぇーっ!バーってこんな風になってるんだ。テレビで見たのそのまんま!やばい、超キケンな香りがしない?」
「ちょっとマイキー、あんまこっち寄るなって。狭い」
ドナテロの目の前にあるモニターをのぞき込もうと、ミケランジェロは顔を使って彼のこめかみのあたりをぐいぐいと押しやってくる。
「おい、画面が見えないだろう。マイキー」
「てめぇ邪魔だ」
たしなめるレオナルドの言葉を無視して、それでも画面を覗こうとするマイキー頭を、ラファエロが片手で鷲掴みにして払いのけた。放り出されたマイキーは「のわぁっ!」という悲鳴と同時に、廃墟の床に転がった。
『あんまり騒がないでよ。そっちの音声、頭に響くんだから』
画面の向こうからは、彼らにとって唯一の人間の友人……エイプリル・オニールの訝しげな声が聞こえてくる。その声を聞いて、床に転がっていたマイキーが軽快な動作で飛び上がり、モニター前に戻ってきた。
「僕の声が響いてるの?それじゃあ、今から愛の言葉を……」
「エイプリル、なにか不審な点はあるか?」
『うーん、今のところはなにも。酔っぱらいだらけの、ただのハッピーフライデーね』
「無視しないでよ!!」
モニターの向こうからは、楽しげな談笑と、ハメのはずれた叫び声が聞こえてくる。友人であるガイズのために、彼女は潜入捜査協力の真っ最中だ。
フット軍団の残党が集まっていると噂の場所。そこは、20歳以下は入れない大人の空間。その場所の様子を探るべく、エイプリルに中継用の小型カメラを持たせて潜入してもらっていた。
「おい、無理すんじゃねえぞ」
『ふふ、心配ありがとう。ラフ。でも大丈夫。みんな近くにいるしね』
「そうそう!危なそうだったら、すぐさま駆けつけるし!ヒーローみたいに!」
「ダメもとで言うが、その場合は姿を見られないようにしろよ」
「レオ、無駄だって。たぶん聞いてないから」
バーが入っているビルの隣。もはや廃墟と化している建物の中に、大きな亀が四人ところせましとモニター前に並んでいる。ティーンエイジャーである彼らにとって、エイプリルがいる場所は未知の世界だった。
多くの大人たちが疲れをいやすために、高いお金を払ってアルコールを煽り、害になるのを知りながらたばこを吹かす。メディアでしかそれを感じたことのない彼らにとって、それはとてもアダルトでミステリアスな空間なのだ。
「怪しい奴は見逃すなよ。ドナ」
「わかってるって。大丈夫、中継用のモニターとは別に、録画した映像を再生するためにもうひとつモニターを……」
エイプリルが送ってくれる中継映像を眺めながらもう一つのモニター作業をしてると……ドナテロの手が、不意に止まった。
「……どうした?ドナ」
「えっ!?あ、い、いやなんでも……」
レオの声で我に返ったドナテロは、手を再度動かしながら、もう一度モニターに目を向けた。液晶画面で四角く切り取られられた映像の向こうで、バーカウンターに座っている女性に目がいく。
彼女は、遠ざかるマスターの背中を、片肘つきながら見送っていた。ほんのり色づいた頬に、儚げな視線。酒で重い頭をゆったりと傾けた仕草に、ドナテロの鼓動が速くなった。
(な、なんだ……どうしたんだ?僕……)
さっきより強くなる動悸、ドナテロはこっそり息を吐き出した。モニターを見たまま手を動かす彼を見て、兄弟たちはみんな勤勉だと思っているのだろう。作業をしながらも監視を怠らない真面目なブレインだと。
しかし、それは大いなる間違いだった。ドナテロがモニターを見ているのは、意識的なものではなく『目が離せない』だけなのだ。
その行為を一目惚れと呼ぶことを……この場にいる亀は、誰も知らない。