「ドナ?おい、ドナ?」
「えっ?あ、うん。なに?」
レオナルドに体を揺さぶられて、モニターにとらわれていたドナエロの視界がやっとモニター外に広がった。首をひねって声の方を見ると、レオ以外の兄弟たちも怪訝そうに小首を傾げていた。
「おい本当に見てんだろうな。ろくに見てないなら変われ」
「そうだそうだー!僕もナイスバディーで美人のおねーさん探したいんだけど!」
「エイプリルはどうしたんだ?」
「……ハッ!!」
『私のことは気にしないでマイキー。いい人見つかるといいわね』
「ごめんよエイプリル!そんなに拗ねないで!!」
「ぜってーそれはない」
中継映像を巡って、いつもの騒がしいやりとりがスタートする。そのやりとりをある程度まで見守って、ドナは再びモニターに視界を戻した。中継しているエイプリルのモニターは、いつの間にかバーカウンターを外れ、背の高い丸テーブルの席を映していた。微かに落胆しながら、ドナは中継用とは別の再生用モニターの接続を再開させる。
(なんだったんだろう、今の。脈が強くなって、目が離せなくて……)
全力疾走したときのような、息切れに近い感覚。目に焼き付いて離れない、とろんとした儚くも甘い表情。名前も知らない相手なのに、どうしてこんなに鮮明に網膜に焼き付いているのか。
(――まさか、恋?)
以前マイキーに押しつけられた、ヒーローアクションのマンガを思い出した。ヒロインは目の前に降り立ったそのヒーローに目を奪われ、胸の動悸を感じながら立ち尽くすのだ。
(いやいや、僕は男だぞ。いやでも、あれがもし男でも当てはまるのだとしたら……)
『運命を感じたの』ヒロインが、追いついたヒーローに言ったセリフ。そう考えれば、ドナの思考はすとんと合点が行った。これを恋に落ちた瞬間と……一目惚れと、そう呼ぶのではなかろうか。
(うわああ、どうしょう!こういう時ってどうするのが正解なの!?名前も聞けないし、そもそも相手は人間だし、というか僕今そこにいないし……!絶望だ……!いや、むしろその場にいたとしてどうする気だったんだよ僕!)
ドナは混乱する思考を頭の隅に追いやりながら、追いやってできたもう半分の思考スペースで今のミッションのことを考え始めた。混乱している場合じゃないと、半分の自分が言う。彼は冷静にモニターに視線を戻した。
後ろでてんやわんやしている兄弟たちにあきれたエイプリルのため息が聞こえる。彼女は、せめてドナが見ていること期待しているのか、カメラの視線を下げることなく会場内をゆっくりと映し続けていた。
――その画面の隅っこの影に、ドナは無意識に目を見張る。
「エイプリル!カメラ20度右に戻して、バーカウンター映して!!」
『えっ……?わかったわ!』
ドナの鋭い声に反応して、返事をするエイプリルの声にも緊張感が宿る。二人の声に、喧嘩をしていたガイズたちも残らず弾かれるようにモニターを注視した。
「ドナ、なにかあったのか?」
「あったよ、すごくあった……!いやなものを見たよ!」
中継モニターがかすかに右を向いた。映し出された遠くのバーカウンターを、コンピューターで拡大する。荒い画素数の映像の中で、二人の男性が一人の女性に左右で肩を貸しながらバーを出ていくところだった。
「あ?酔っぱらいがどうしたって?」
「ちがう、あいつらはあの人の知り合いじゃない!」
「どうしてそう断定したんだ、ドナ」
「だって、彼女のことをずっと見てたんだ……!」
ドナテロは停止画像の中に浮かぶ下卑た笑みに嫌な予感を感じて、兄弟たちの静止も構わず飛び出した。
* * *
――わずかに聞こえたのは、見知らぬ男の汚い悲鳴。
その声に反応して、私の意識はやっとゆらゆらしながら浮上した。いつも間にか、バーカウンターに伏せているのではなく地面に伏せていて、酔い潰れた体が床に倒れたのだと思い、私はゆっくりと上体を起こした。頭がぐらんぐらんする。今までにない悪酔いをしてしまったらしい。
「……うわっ!」
起き上がると、地面に男が一人倒れている。微かに見覚えのある顔。口元に三日月が浮かんでいないだけで、私に絡んできた男達だ。彼らの手には、ナイフなんて物騒なものが握られていて、私は背筋に寒気が走った。
「ぎゃっ……!」
汚い悲鳴がもう一つ聞こえて、私は地面に座り込んだまま顔を上げた。辺りはバーから少しそれた裏道。もう一人、私にちょっかいをかけてきた男が、ちょうどがくりと膝をついたところだった。膝をついた男の前には、とんでもなく身長の高い人影が一つ。どう見ても、彼が男にとどめを刺したところだった。(とはいえ、血の類は一切出ていない。男はただ気絶しているようだった)
「あの……」
「……っ!?」
こちらを無効とした人影が、肩を震わせて顔を手で覆い隠した。亀の甲羅のようなショルダー。二メートル近くある身長。そして、不自然に途切れた記憶と、外に連れ出されている事実、二メートルの彼が二人の男を倒したということ。酔った私でもわかる。私はこの人に助けられたのだと。
「……あの、ありがとう」
「いや、その……無事なら、よかった」
私は自分を見渡した。倒れた時にすりむいたと思える膝小僧以外は、無事だった。
「それじゃあ、僕はこれで……」
「ま、待って!……っ!あたた……」
妙に揺れる頭を押さえた。巨体の彼はは、ビルの影の中を移動してこちらに来ると、ペットボトルの水を差しだしてくれる。
「多分、薬を盛られたんだと思う……タクシーは呼んであるから、水を飲みながら待ってると良いよ。きみがちゃんとタクシーに乗るまで、見てるから」
「どうも……」
「それじゃあ……」
「あ、だから待って!」
私の言葉に、そそくさと路地裏に消えようとした背中が、こちらを振り向かずに止まった。
「……お礼、したい。名前を教えて?私は、」
「……、良い名前だね」
彼は私の問いに答えず、暗闇の路地に消えていった。
(……ケチ)
恩人にごちりながら、私は眉間にしわを寄せる。宵闇に満ちている路地を見ると、ぼんやりとその背中がまぶたの裏に浮かんできた。
憧れていたお気遣いマスターとは違う、細くてガタイのいい背中。座っていると首が痛くなるほど見上げる無ければならない身長。なにかを背負っていたらしいでこぼこした不自然な後姿。この数分も見ていないというのに、私のまぶたに焼き付いて離れない。
(さすらいの、正義の味方)
姿を見たのはほとんど一瞬のようなもの。それでも私は、その一瞬だけ見た背中に落ちたのだと……酒でぼんやりとする頭の中で、確信めいたものを感じていた。
イマージュ・コネクト
(彼と私を繋いだ、目に焼き付いて離れないその刹那の姿)
「……なにこれ」
タクシーが来て、やっと頭が冴え渡った時……足元にコンビニのレシートが落ちていた。表の文字は油性ペンを書いた時のように滲んでいて、私は本能的にそのレシートを裏返してみた。そこには、書きなぐった文字でこう書かれていた。
『きみを助けたのは、俺の兄弟。名前はドナテロ。優しいやつだ、よろしくな』