「こんばんは、ドナ」
「、いらっしゃい」
行きなれた下水道の家を訪ねると、メガネのブリッジを上げたドナは手を振り返してくれる。私が迎え入れられるままリビングへ入ると、近づくまでもなく彼は、とある方向を私に指し示した。
「レオなら道場で修行中だよ」
「ありがとう」
「あっ!ちょっと待って」
制止の声に従って待つと、一つの缶が放物線を描いて飛んでくる。緩やかに飛んできたそれを受け止めると、そのパッケージには、末弟が好むオレンジの絵が描かれていた。
「よかったら飲んで」
「うん。ありがとう」
ドナテロに差し入れと一緒に見送られ、私はそっと道場の扉を開けた。
広々とした畳張りの部屋の真ん中に、見慣れた甲羅の背中。
精神統一している彼のそばに、ゆっくりと近づいていった。
「…………」
(集中してるかな……?)
「…………」
もう数メートルだけ近づいて、もし気づかないようならリビングで待っていよう。できるだけ音を立てないように進むと、かすかに下を向いていたレオの頭が、ゆっくりと持ち上がる。
「……か?」
即、バレた。
私が早々に観念して彼の隣に腰を下ろすと、下りていたまぶたがゆっくりと持ち上がって、きれいな海色の瞳がこちらを見た。集中して引き結ばれていた口端が、優しく持ち上がる。
「ごめん、邪魔した?」
「いや。というか、が家には行ってきたあたりから、もう気配で気がついていたからな。驚いてない」
(さすが忍者……)
感心していると、不意に彼の眉間にしわが寄る。口を開けずに歯を食いしばっているようで、目尻に微かな涙が浮かぶ。
「……眠いでしょ」
「……眠くない」
精神統一に飽きていたと思われるのが心外だったのか、とっさに反論される。途端、今度は明らかに口が開いたままあくびをこぼした。言いようのない空気が辺りに漂った。
「いっておくが、いつもこうな訳じゃない。ただ、なんというか……が隣にいると、気が緩むんだ」
言い訳がましく言い訳するレオの言葉に「ふーん」と鼻だけで返事をすれば、彼は眉間に指を添えて言い訳の続きを考え始める。待っている間に、私はドナから受け取ったオレンジソーダのプルタブを立てた。
「…………」
プシュ、と小気味のいい音で缶が開いたのを確認してプルタブを寝かせてソーダを飲む。ぷは、と喉から炭酸を吐き出して、私は訝しげな目で見られていることに気がついた。
「ああもう、なんだっていいか……」
「うんうん。レオが眠くたって気にしてないよ」
「……お前を相手にしてると『のれんに腕押し』という言葉を思い出すな」
それは正しい。レオが修行直後に眠かろうが、私は修行をともにしている兄弟でもなければ師匠のスプリンターでもない。彼が品行方正な姿を見せる必要のない相手なのだ。
「かっこつけなくていいって」
「恋人の前だから、むしろ恰好をつけておきたいんだが?」
「そっかそっか。ありがとう」
「……お前、まじめに聞いてないだろう」
深く深くため息をついた隣のレオが、正座していた足を崩した。
「……レオ」
私は、揃えて横に倒した自分の膝を叩く。私のここ空いてますよ、と示してやれば、一瞬ためらったレオナルドは体をゆっくりと横たえた。仰向けになると甲羅で邪魔されてしまうため、彼はややうつ伏せ気味に肩を畳につける。
「……5分経ったら起こしてくれ。この後、マイキーと組み手の約束してるからな」
「約束って言うか、レオが叩き直してやるって一方的に言ってるだけじゃ……」
「うるさい」
「はいすいません」
私に体重をかけないよう気をつけてたであろう彼の頭は、それから徐々に重みを増して……最後には、完全に私の膝でうつ伏せ気味に寝てしまう。気遣って力をいれていたであろう手も、その力を完全に失って投げ出されていた。
(……気、張りすぎなんだって)
彼は長男としての威厳を保つため、常に品行方正であろうとする。家族であることには違いないが、だからこそ見せられない部分というのもあるのだろう。
だからこそ、恋人としてその力を抜いてやるのが仕事だと、私は思う。表現の通り、泥のように眠る彼のはちまきを、空いている片手でほどいてやった。あどけない寝顔は、残念ながらうつ伏せという体勢のせいで見ることができない。暇になった私は、手に持っていたオレンジソーダをもう一口傾けた。
「えっ、なにあれ?」
「静かに!それと、これ以上進んだらだめだって!」
「なんでだよ」
「これ以上進むと、僕らの気配で起きちゃうから!」
レオの頭をゆっくりと撫でながら、道場の入り口に目をやると……そこには、扉の隙間からこちらの様子を伺っている三人の姿が見える。
「レオ、死んでるみたい」
「あいつあんな風に寝ンだな」
本能のままに手足を投げ出して甘えるように寝ているレオを初めて見たのか、ラファとマイキーは物珍しげだった。すでにこの状況を何度も見たことがあるドナは、二人がレオの気配察知範囲に入らないように牽制する。
しーっ、と沈黙のジェスチャーをすると、マイキーがぶんぶんと何回も首を縦に振った。追い払う仕草を見せると、末弟はうれしそうに親指を立てて扉から消える。本当にレオに叩き直される寸前だったようだ。私は視線を、膝元の恋人に戻した。
私の膝の上に力なく投げ出された手に何気なく触れると、無意識のレオにそっと手を握られる。
「…………」
「……!」
感触を確かめるように握り直す姿は、赤ちゃんのようで……
(ごめんね、そんな可愛いことされたら……5分じゃ起こしてあげられないよ)
気を張らずにこのままずっと寝てればいい。
可愛らしいレオナルドの甘え姿を眺めながら、私は握られていない方の手にあるソーダを傾けた。