「え?私日本人だし、日本から出ないから別に英語なんてできなくていいよ」って考えてる人はその考えを改めた方がいい、という私の主観。
主観と言うより教訓だ。人は人の失敗、または他人の失敗から学ぶべきなのだ。つまり私は私の失敗から学んで、今その考えを改めたのだ。
「なんで日本人って、LとRの発音の使い分けが出来ないんだ?」
「……なんでだろうね」
レオと道場で向き合いながら、渡された英語のテキストを睨みつける。目の前の彼は、どこぞの赤いはちまき亀のようにこちらをバカにしたりしないし、どこぞの黄色はちまき亀のように復唱してからかってきたりしない。ただ、本当に心底不思議そうに首を傾げている。
(こんなことになるなら、英会話行きまくればよかった)
日本出身、純日本人の私は数ヶ月前に突如としてアメリカに引っ越しが決まり(経緯はあるのだが、本題とは異なるので割愛する)、付け焼き刃の英語を身につけてアメリカへやってきて、これまたいろいろあって(同、割愛)下水道にすむ亀たちと仲良くなったのだが……
(くっ、思い出したらまた恥ずかしくなってきた……)
――さかのぼること、数時間前。
「ねぇ、お米ある?あったらご飯作るけど……」
「……えっ?」
「……ん?」
「……ブフッ」
「お前、そんなの食ってんのか?亀でも食わねえぞ」
噴き出した黄色と、にやにやと意地悪そうな赤に、私は眉間にしわを寄せていた。ラファの発言を聞いて「ああそういうことか」と一人納得したドナに視線で説明を求めると、彼はずりおちかけたメガネのブリッジを押し上げた。
「ええと、今のね。RとLの発音がごっちゃになってて……その……」
「Rice?まずかった?」
「まずかったというか、ちょっと僕たちにとって語弊が……」
「Liceだとなんなの?」
「ええと……シラミ」
「えっ」
あの汚い髪の毛の根っことかにゴミレベルの小ささの巣を張って生きて、毛根をかゆくさせると言うあの?害虫の?
つまり、彼らからすると私は今さっき「ねぇシラミある?あったらご飯作るけど……」と言っていたことになる。なにを食べる気なんだ。数秒前の私。
「僕たちシラミが出る髪の毛がそもそもないけどねぇ」
「にはあったりしてな。なにせ食ってるらしいじゃねえか」
「ぐぬぬ……」
図体に似合わず中学生レベルのからかわれ方をされて悔しいが(よくよく考えたらそれはそれで年相応だった)、しかし私に反論の余地はない。自分でも、LとRの言い訳が怪しいのは自覚しているからだ。
「お前たち、いい加減にしろ!間違いなら誰にでもあるだろう」
「そ、そうだそうだ!日本語しゃべれないくせに!」
「俺ら日本には行かなねえし」
「ラファ。そういうのを屁理屈っていうんだ」
兄弟をたしなめたレオが、私の隣に来てぽんと背を叩いてくれる。落ち付けとか、安心しろとかそう言う意味が込められているのだとわかって、悔しい気持ちがちょっとだけ浮かばれる。
「、気にするな。間違えたなら正せばいい。なんなら、俺が見てやろうか?」
「えっ!いいの!?」
「ああ。俺相手に間違えておけば、外で恥をかかないだろう?」
ああレオってば最高だ!私の男を見る目は間違っていなかった!と彼にすがった。ラファと同じ年齢とは思えないレベルでできた男である。
……そうした理由を経て、話は元に戻るのだが。
「とりあえず、発音してみてくれ」
「……単語のチョイスは、さっきの問題の単語でいいのかな?」
「ああ。いろいろ思うところあると思うが、間違えたものから練習していった方がわかりやすいだろう?」
正論だ。私は恥をかなぐり捨てて、何度か同じ単語を発音してみる。米のつもりで。あくまで米と発音しているつもりで発音してみるものの、レオは不思議そうな顔をするばかりだ。
「舌がうまく使えてないんだと思うぞ」
「舌って……どう?」
「どう?どうだったかな……」
言葉で説明しにくいらしく、レオは一度道場を出ると紙とペンを持って戻ってくる。畳が敷かれていない板張りの場所に紙を広げると、なにやらペンを走らせて図解をしてくれるのだが……
「…………それはなに?」
「口だ。口を横から見た図」
「…………」
紙の上に描かれた図は、なんというか壊滅的にダメだった。シャクトリムシがサタデーナイトフィーバーしているようにしか見えない。
(いや、むしろシャクトリムシが舌だと解釈すれば多少分かるように……)
「……すまない。芸術方面はてんでダメなんだ」
「いやいやいやわかりやすい、わかりやすいよ!このシャ……この部分が舌でしょ?」
「シャ……?」
「なんでもない!今からちょっとやってみるから聞いててね!」
必死に脳内補正をかけた図の通りに、舌を上顎にぺたりとくっつけて発音してみる。ややこもった巻き舌風の発音をすると、レオはぱっと顔を輝かせた。
「そうだ、近くなったぞ!」
「えっ、ホント!?」
「ああ。だがちょっと惜しいな。もう一度やってみてくれないか」
「うん!」
もう一度同じように発音すると、すこし鋭い声で「そのまま止まれ!」と静止をかけられ、私は舌を巻いたまま動きを止める。
「舌を、口のどこにくっつけてるんだ……?」
レオの人ならざる手のひらが、私の両頬を包み込んだ。
「っ……!!」
そのままぐっと顔を近づけられ、驚いて体を強ばらせたのと同時に心臓がどくんと脈を打つ。至近距離からまじまじと見つめられ、とにかく恥ずかしい。
巻き舌を見られてるのも恥ずかしいけど、こっちがどぎまぎしてるのに、レオは真剣な表情で微塵も意識していないのがまた恥ずかしい。というか悔しい。
(このままキスしてやろうか)
10センチも離れていないこの距離なら、相手が忍者であれど不意打ちができる気がする。ああ、なるほど、と呟いたレオの吐息がふわりと唇にかかり……耐えきれなくなった私は、思い切りレオと距離を取った。
不思議そうにこちらを見つめるレオの視線を受けたまま、ズドンと音を立てて後ろに倒れ、後頭部を畳に打ち付ける。
「お、おい、大丈夫か!?どうした、!?」
痛みはない。というより恥じらいにかき消された。私は倒れたまま顔を覆う。むっちゃ恥ずかしい。そして顔が熱い。それなのに、指の隙間から見えたレオは、意識した様子もなくただ倒れた私を純粋に心配して右往左往している。
(発音よりくやしい……)
エイプリルにはイケイケな感じでせめよったくせに、これから先、上手く発音できるまでこの生殺しは続くんだろうか。そしてその間に、この亀は私が意識していると気付いてくれるんだろうか。いっそ、意識してくれないだろうか。
そんな願望を頭の中で繰り返しながら、ひとり何が起きたのかわからず慌てるレオを指の隙間から眺めていた。