ラファエロの手はごつごつしてるのにとても優しい。荒っぽく見えるのに仕事や手先は繊細で、私を触れる時も、壊れもに触るみたいに触れてくる。大切にされてるって感じるから、ラファに触られるのは好き。大好き。なのに……
(これでいいのかなぁ……)
キッチンでサンドイッチを作っているラファエロの背中を見ながら、私はリビングとキッチンを隔てているカウンターに頬杖をついていた。
恋人と二人きりだというのに、ラファは全く触れてこない。
お昼時に遊びに下水の家へと遊びに来た私に対して、彼は「昼飯作ってやるからおとなしくしとけ」と世話焼き女房のようにまな板に向かう。これじゃあ、どっちが彼女でどっちが彼氏だかわかったもんじゃない。
「おい、そこの鉄串こっち投げろ」
「えっ、やだよ。危ないじゃん」
「お前のへなちょこな投げ方なんて危なくねえよ」
挑発するような不遜な言い方にイラッとしたが、うっかりでもなんでも彼に怪我をさせるのは本意じゃない。
私はカウンターにつけていた肘を離して立ち上がると、鉄串を手に彼の元へと歩いていった。隣に並んで、彼にそれを差し出す。
「ん」
「……おう」
「サンドイッチ、鉄串で刺すほど不安定なの?そんな高いの食べにくいよ」
「早とちりすんな。俺様のだけだ。お前のはこっち」
顎で示されたお皿には、私にぴったりの小さなサンドイッチがすでに作られている。あの太い指でこんな小さなものを作るなんて器用な。私たちで言う、ガムの包み紙で折り鶴を折っているような感覚だろうに。
「器用だなぁ」
「お前よりかはな」
「なにそれ、喧嘩売ってる?」
眉間にしわを寄せて不満を訴えると、勝ち誇ったように笑ったラファは、こちらに顔を寄せてふんと鼻を鳴らして挑発してきた。
「そう思うなら、やってみろよ」
顔を上げると、煽ってきた彼と思っていたより顔の距離が近くて息をのむ。息をのんだのは私もだけど、顔を寄せたラファも予想より近かったのだろうか、口端を微かにひきつらせた。
二人そろって硬直した私たちは、たっぷり十数秒真っ赤になったまま停止して、そして……
「……さっさと離れろ」
ぐいと顔を押されて、私はラファの掌にキスして終わってしまう。
(違う、そうじゃない。そうじゃなくて……!)
期待したのに。したい場所が違う、したい行為が違う!と心の中でいくら異議を唱えても、ラファはもうこちらに背を向けてお昼作りを再会させてしまう。かといって、ここで「キスしろよ!」といえるほど度胸が座っているわけもなく……私はぎりぎりと歯を食いしばった。
* * *
「……と、いつもそんな感じで。あーあ、寂しいって思っちゃうのはわがままなのかなぁ」
「……なっがい導入だったね」
「ヒュゥ!ラファ青春してるゥ!」
私の甘酸っぱい心境付き導入を聞いたふたりは、それぞれのリアクションで私の経験談に相づちを打った。ドナはそれはそれは苦い表情を浮かべているし、マイキーは口笛を吹きながら落ち着きがない。
「そんな日本の少女マンガみたいなことをあのラファがあの図体でしてると思うと、面白くて腹よじれそう」
「……どういう意味?」
「僕は日本のマンガあんまり読んでないからよく知らないけど……相当純情って意味だと思うよ」
「純情で何が悪いのよ!!少なくとも下ネタみたいなことばっかり考えているマイキーよりずっとずっといいんだから!ハレンチ!!」
「ひどい!!」
「遠回しの言葉がどストレートで帰ってきたね」
「でもでも、だってラファとキスしたいとか思ってるんでしょ?
「うぐっ……」
あのマイキーに図星をつかれるなんて非常に心外だけど、その通りだった。
こちらの心構えは十分だというのに、ラファは私に触れようとしない。それは肌と肌が接触しないとかボディータッチできないとかそういった意味合いではなく、恋人としての触れ合いが一切ないという意味だ。夜の営みどころかキスすらない。恋人とは?と心の中のもう一人の自分に問い詰めるくらいには悩んでいた。
「んー、じゃあさぁ!からキスしてあげたら?」
「ええっ、私から?ラファのプライド傷つかない?」
「傷つきそうだけどね」
「ほらぁ!!」
マイキーの提案を即却下するが、彼はさして気にした様子もなく私のそばまで来てにこりと笑った。
「だから、軽く!軽くだよ。こう、こんな感じでっ!」
頬に一瞬、あいさつのキス。止めるまでもなく一瞬でさらわれて、私は唖然とする。
「これでラファが乗り気になればそれでいいし~」
「あ、あー……マイキー」
「プライド傷つきそうなら『挨拶』って言っちゃえば!」
「た、確かにそれなら……」
「マイキー!!」
「なにドナ!これから大事なところ……!」
そうしてマイキーが半身を引いてドナを振り返り、その後ろの影に顔をひきつらせた。
「大事な……なんだ?」
聞き覚えのある兄弟イチの低音ボイスに、振り返らなかった私までもが肩をビクリと震わせる。
私のそばにいたマイキーはゆっくりと壁際に移動して、壁伝いにゆっくりと遠ざかっていく。地を震わせるような重さのある足音がいくつか聞こえると、私の後ろから大きな影が床に落ちた。
「……ラファ」
「、てめぇはちょっと待ってろ。今こいつらを締め上げて……」
「えっ!ちょっ、僕も巻き添え!?」
「覚悟しろよ、今……」
「わー!ちょっとまってラファ!二人は悪くないよ!私が相談しただけで……!」
ラファの言葉にドナまで慌てて逃げ出し、そんな二人を追おうとしたラファの腕に慌てて私が飛びついた。顔を左右に振ると、それを見たラファの歩みが止まる。その間にも、四つの足音はパタパタと音を立てて遠ざかって行った。
その場にはラファと私だけが残され、辺りには静寂が満ちている。
(び、びっくりした。まさかラファ本人がいたとは……・)
狭くて部屋数の少ない下水の家で、噂話ないし相談事をするのはよくないのかもしれない。情報漏えい率高めだろう。
「おい」
先ほどより幾分か柔らかくなった声音に、私はラファの腕を抱えたままゆっくりと顔を上げた。
「なんでキスされてんだ」
「いや、話の流れで……」
「どんな話の流れになったらそうなるんだよ。もっと警戒しろ」
やや不機嫌なのか、穏やかな普段よりもやや凄みの増している威圧的な声。不機嫌なようにしか解釈できなくて、今この場面で不機嫌の候補といえば、今まさに彼が話題に挙げている「マイキーのキス」のことだ。そこからラファの本心を割り出すと……
(嫉妬、してくれてるのかな?)
「つーか、お前はなにを相談してた。俺には話せないことか?」
「……・話せないよ。内容のご本人様だし」
「……は?」
「ラファがキスしてくれないって話しててたの!いつもお預けばっかりだって!」
さっきまでやや威圧的だったラファが、その表情を凍らせる。彼も思うところがあるのだろうか。
「いっつもぎりぎりというか、寸止めというか。だからって私から言い出すのもなんだかはしたないというか、ラファのプライドを傷つけちゃうんじゃないかと思って……」
「……ばっかじぇねえの」
「はぁ!?」と文句をつけようと再度ラファを見上げると……顔を片手で覆っていた。その手の向こう側に彼の年相応な戸惑い顔が見える。
「女にそんな心配させて……情けねぇな」
「ら、ラファ……?」
「仕方ねぇだろ。お前は人間で、女で……もろいんだよ」
言い訳のように呟くラファの声を、一言一句聞き逃すまいと私はかかとを上げて彼の口に近づこうとする。
「オレ様が触ったら壊れちまいそうで……むしろ、こっちの心臓が壊れそうなんだよ。くそ、なさけねぇ」
「ラファ……」
手に隠れていた瞳が、こちらを向く。そこにはさっきのような戸惑いはなく、ただそこには覚悟を決めた男のひとかけらの勇気だけが宿っていて……
「けど、お前がそんなこと考えているなら……もう知らねぇぞ」
荒い手つきで顎を取られる。そこにはいつもの勝ち誇った笑みはなく、あの時の続きをするかのように、ラファの瞳がゆっくりと距離を詰めてきた。